元夫と義両親の関係を見て、夫は義両親から支配的に育てられた結果の被害者であると思っていました。そして「もし義両親さえ口を出してこなければ、あのまま結婚生活を続けられたのでは」と思っていたこともあります。
しかし、義両親に強要された結果できた私と夫との亀裂ではなく、正しくは「夫と私の亀裂に義両親が巻き込まれた」のではないかと気づくことができるようになりました。
結婚生活中の義両親の過干渉
子どもが生まれると義両親からの過干渉が始まりました。
子どもに使わせる育児グッズについて、義両親の時代になかったものを「使ってはいけない」と言われたり…。
抱っこ紐を使うおうとすれば「あなた(私)は楽をしている。子どもは目を見ながら手で抱っこしてあげなければいけない。親の都合に合わせて育児をしてはいけない」と言われたり…。
とにかく「母親は苦労するもの」という押しつけがひどかったように思います。
そして、「予定のない土日はすべてうち(義両親の家)に来るように」とも言われました。
それでも月に3,4回以上は義両親の家に行き、義両親ともうまくやっていけるようにと折合いを図っていました。
夫は私と同じ支配的な義両親に振り回されている被害者だと思っていた
一度義実家に行くと深夜を過ぎるまで家に帰してはもらえませんでした。
義両親からは「もてなしたいから」と言われ、いくら「子どもが小さいうちは早く帰宅したい」ことを伝えても「あなたはおかしい!」と受け入れてもらえませんでした。
周りの友人たちも早い時間に帰宅していると伝えてみましたが、「それは友人の話でうちはこういう方針だから」と決して曲げることはありません。
折合いのつかないまま義両親の言うとおりに過ごすしかありませんでした。
夫の口から義両親に言ってもらうこともありましたが、変わることはありませんでした。
力関係は「義両親>夫」であり、こういった点で私は「夫も同じように被害者である」と思っていたのです。
夫の受け止め方は私とは違っていた
私から見れば「義両親の都合によって幼い孫を振り回している」ようにしか見えませんでしたが、こういった義両親からの圧力を、夫自身は「孫を愛しているから」だと受け止めていました。
夫にとっては自分を育ててくれた両親なので、悪く捉えたくないという想いもあったのでしょう。
しかし彼にとっては義両親の高圧的で支配的なところは決してマイナスな面だけではなかったのです。
夫は被害者ではなかった!夫こそが義両親を「利用」していた
夫は私と意見の食い違いがあるたびに義両親へ電話をかけて悪口を言い、時には義両親を家に呼び寄せて私に説教をさせることもありました。義両親は息子である夫の味方をし、いつも「お前(私)がおかしい」「お前は嫁いだのだから、すべて息子や○○家のやり方に従うべきだ」と言われました。
人に強要することを厭わない義両親は、使いようによっては自分の言うことを誰かに強要したいときに、「強い味方」になってくれる人でもありました。両方の意見を聞いて、間を取り持とうとすることはありません。片方の意見だけで、一方的に怒鳴りつけることができる人たちです。夫は義両親に同情を誘うような話をするだけで簡単に被害者になれました。あとは義両親が支配的な態度で周囲に怒鳴り散らせば、たいていのことは「思い通り」に行ったのでしょう。
つまり支配的な義両親は夫にとって、「自分の言うことを周囲に聞かせるために好都合な存在」だったともいえます。
夫は、単に義両親による支配の被害者ではなく(被害者的な部分はありつつも)その支配力を利用してもいたのです。
離れてもなお、夫を信じようとしたが…
私の結婚生活は、夫と義両親から「明日までに家を出ていけ」と追い出され終わりました。
別居が始まった時は義両親に振り回されてきたのだと思っていましたが、真実は違っていました。
夫からの調停申立書には嘘のエピソードがたくさん書き連ねられ、私が悪者にされていました。そしてそこには、私と夫しか知らないこともたくさん書かれていました。
「悪いのは義両親ではない」
「私を悪く言っていたのは夫だった」
その時になってようやく、私は自分が傷つかないようにするために、夫の真実の姿から目を背け続けていたことに気が付いたのです。
夫を信じようとした結果、私が結婚生活に見ていたのは、真実から目を背け認知をゆがませてできた偽物の「いい夫」だったのだと思います。
夫をいい人だと思うとき、あなたは辛い思いをしていませんか?
私は夫を信じようとするあまりに目の前にある違和感から目を背けている時期がありました。
夫の言動には何かしらの事情があり夫自身もコントロールできないのだと。
そう思うあまりに私は、夫過ごしている間、慢性的に腹痛を患うようになりました。
もしあなたが目の前の人を信じようとした結果、自分の心をごまかしていたのであれば、本当は罪のない自分自身を悪者にし、自責感が自分自身を傷つけるようになります。
あなたが目の前の信じたい人と同じ立場であった時、どんな理由があろうとしてもその行動をとるかどうか置き換えて考えてみてください。
理由があったとしてもその行動をとてもとることができないほどであれば、背景は行動を正当化する理由にはなりません。
ましてや相手からその行動について問いただされた時に「自分は決して悪くない」と正当化して人に話すことできるでしょうか?
辛い思いの原因は、あなた自身が傷ついているからではないでしょうか。
痛みを感じたとき、自分の心に傷ができていたり、血を流していないかどうか見てください。
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