「優しさ」とは何でしょうか?
夫は義父から「優しい」と言われていました。また夫の友人からも同様に評価を受けていたように思います。
しかし、実際は家庭内でモラハラをする人物でした。
ひとりの同一人物に対して一方では「優しい」と評価され、一方では、「モラハラ加害者」と評価される。同じ人物に対してこうも評価が分かれるのは、不可解ではありませんか?
この「優しさ」に対するギャップはどこから生まれるのでしょうか?
「優しい」とは何か?
夫は義両親に対して、とても従順でした。義両親は夫の行動に対して、「こうしろ」「ああしろ」と言ったり「こうするな」「ああするな」と言って常に口を出してきました。
夫はその指示に従い、自分がいかに義両親の指示通りにうまくやっているかをよく義両親に報告していました。
義両親は夫のその態度に満足しているようでした。
義父から見て夫は、「自分の言うとおりにし、自己主張をしない大人しい子」であったと思います。
それを義父は「優しい」と評価したのでしょう。
おそらく、友人関係でも同様に「非主張的な人物」であると思われ、それが「優しい人」であるという発言につながったのだと考えられます。
自己主張をしない大人しいことは、人によっては、「相手の気持ちを尊重する優しい人物」のように目に映ることがあります。
しかし、それは本当の「優しさ」なのでしょうか?
我慢をしたストレスをどこかで発散して、心のバランスを保つモラハラ加害者
実は、自己主張を我慢してしまう人ほど、自分より弱い立場の人には攻撃的な態度を取りやすい傾向にあるそうです。
一見したら、「人の気持ちを優先する我慢強い人物」のようにも思えますが、その裏は「攻撃的な人物」と表裏一体の関係でもあります。
結局は、言いたいことを我慢して、無理に抑えられたストレスはどこかで攻撃的な態度として表れ、心のバランスを保つようにできているのです。
そして、攻撃的な態度は自分よりも弱い立場の人や言いやすい相手に向かうのです。
夫はいつも、会社であった嫌なことを家庭内で発散していたように思います。直属の上司や、そのまた上の上司には言いたいことが言えず、いつも我慢をしているようでした。夫は「家庭のために我慢しているんだ」と言っていましたが、言えないのは夫自身の性格であったと思います。そして、我慢したストレスをモラハラ行為にして家庭内で発散していたのです。しかし、夫自身は家庭をストレス発散の場にしていたことを決して認めませんでした。
ストレスをためない性格の人ほど優しい?
人によって評価が分かれる「優しい」とは表向きだけの「優しさ」であり、裏では「優しさの反動」で表れる攻撃態度に苦しめられている人がいるのもまた事実です。
人はストレスで攻撃的になります。
溜めたストレスをどこかで発散しないといけませんが、それを自分より弱い立場の人物にぶつける人は「優しい」人ではありません。
では、本当の優しさとは何でしょうか?
それは、ストレスをうまくコントロールできたり、発散するのがうまく、人に対して穏やかに主張できる人物ではないかと思います。
ストレスのコントロールがうまい人とは、たとえば職場のストレスを同僚との愚痴で発散できたり、趣味に没頭することでリフレッシュすることができるタイプの人はこれに該当するでしょう。
また、穏やかに自己主張ができる人は、自分の主張や感情を適切な言葉に置き換えて周囲に伝えることができる人です。自分の気持ちを無理に抑えることがないため、ストレスをため込むことがありません。また、穏やかな自己主張は周囲の反感を買うことも少なく、人との関係も円滑になります。それがさらにストレスをためないことにもつながると考えられます。
「優しい」とは何かの結論
私が考える優しい人物とは次のような人であると結論付けました。
・自分の気持ちと適切に向き合うことができる
・自分なりのストレスの発散方法がある
・言語化することがうまく、自己主張ができる
・穏やかである
まとめ
優しい人は、本人も我慢をせず、また周りを不快な気持ちにさせないため、良い人間関係を築くことができます。
「あの人と話しているとなんだか穏やかな気持ちになるな」と感じる相手がいるとすれば、その人は間違いなく「優しい人」でしょう。
人の気持ちを穏やかにしたり、優しい気持ちにさせてくれる人が真の「優しい」人であると私は考えます。
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