権利があっても会う気がなければ面会交流は実現しない

権利があっても会う気がなければ面会交流は実現しない

ハリウッドのニュースからです。

今年8月に公開された映画『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』が世界中で大ヒットを記録したトム・クルーズ(56)が、2012年に離婚した女優のケイティ・ホームズ(39)とのあいだに誕生した愛娘のスリちゃん(12)と、もう何年も会っていないことを米Us Weeklyが報じている。

関係者が同誌に語った話では、トムはスリちゃんとの月10日間の面会を許可されているが、スリちゃんがトムの信仰する宗教「サイエントロジー」の信者ではないことから、「自主的に“会わない”という選択肢を選んだ」という。

参照:FRONTROW

記事によると、トム・クルーズが信仰している宗教がらみで、父親であるトムの方から娘スリと会わないことを選択したようです。離婚後すぐには会ったもののそれ以降は長いこと会わず、直接連絡することも避けているようです。別の記事によればもう6年程は会っていないとも言われ、それが本当であれば離婚後からほぼ会っていないことになります。娘のスリちゃんは、父親に「会いに来てほしい」と思っているようですが、未だ叶ってはいないとのこと。

しかし、スリちゃんが大きくなるにつれ事情が分かってきたのか、最近では会いたいと言わなくなってきたというエピソードも見受けられました。
結婚生活中は娘を溺愛していたトムでしたが、離婚を機にそんなにキッパリと縁を切ることができるのは意外でした。離婚後ほとんど会っていないとすれば、6歳で両親が離婚し、その後の6年は父親がいない環境で育ったわけです。この状態が続けば父親がいない環境の方が長くなっていってしまいますね。もう会えないことを察したのか、それともトムがいない環境に慣れてしまったのか。「父親に会いたい」と言わなくなったスリちゃんがこの状況をどのように捉えているのかが気になります。

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調停で決まっても会う気がなければ面会交流は実現しない

実は日本でも、例え調停調書に面会交流の取り決めごとが書かれていても、強制的に会わせることはできません。金銭のやり取りと違い、強制的に合わせることは人権侵害につながると考えられているからです。そのため執行官などが介入して、子どもや親を面会交流の場に連れていくことはできないのです。

もし調停調書に書かれている取り決めごとが守られない場合は、「間接強制」という金銭での賠償となります。
面会交流が1回妨害されれば、1回につきいくら罰金を支払うという形です。この金額についても養育費などと同じように各々のケースで決められます。もちろん罰金を支払うことは金銭的な痛手を受けますが、それでもなお会わないという形をとることだってあります。

このように調停で取り決めて権利があるからと言って、必ず面会交流が実現するわけではありません。

また上のニュースのようにどちらかが「会わない」と決めてしまえばもう面会交流を実現することは不可能です。

面会交流を長く続けるためには、やはり双方が面会交流を続けようとする強い意志が必要です。そして何よりも子ども本人が面会交流を希望しているということです。

人との関係はいつ切れる?

かつての親密な関係を築いた相手とは関係が長く続く

私が今も友人関係を続けているのは、かつて頻繁に連絡を取り合っていたり、頻繁に遊んでいた友人です。かつて濃い密度で関係を築いた相手とは、引っ越しなどで例え物理的な距離が開いたとしても、その後も継続した関係が続いています。1年に1度会うか会わないかの友人もいますが、会えば昔のようにすぐに打ち解けることができます。それはやはりかつての親密な関係があったからでしょう。

幼いころに疎遠になってしまうと関係が切れてしまう

しかし幼いころに分かれてしまった友人とは、今は全く疎遠になってしまっています。その当時は一番というほど仲が良かったのですが、今はお互いに何をしているかすら知りません。交流がある程度の年齢まで続いていなければ、いくら親密な関係であったとしても、継続した交流関係にはならないということです。

私の経験では、15歳以降で交流があったかどうかが現在の交流の有無に深く関係しています。15歳と言えば、子ども自身の面会交流の希望が尊重される年齢です。なぜ15歳という年齢なのか、分かる気がします。

直接会う以外の面会交流も大切にするべき理由

面会交流を続けることができているケースでは、多くの場合、面会以外での交流も行っています。たとえば、日常的に手紙のやりとりをする、電話をする、メールをするなどと言ったことです。

子どもは大きくなるにつれ友人関係の方が大切になったり、自分だけの世界を持つようになります。そうなると別居親とは直接会うよりも、間接的な交流の回数の方が多くなっていくでしょう。

子供の成長の節目節目にも親子の交流が続いていくかどうかは、それまでの親子関係がどのくらい親密であったかが関係してきます。

調停で権利を得たからと言ってそれで終わりではありません。別居親はできるだけ多く子どもの人生に関わっていくことが求められます。

まとめ

例え親子であっても、縁というのは切れるときは切れてしまうものです。

私が現時点で子どもと疎遠になって、その後、別の人が子どもを育てるようになれば、子どもは私のことなどすっかり忘れてしまうでしょう。

親子だからいつでも分かり合えるというのは幻想です。冒頭のニュースで、トム・クルーズはいつか自分の選択を後悔する日が来るのではないかと考えてしまいます。

私は今後も子どもたちと関わって生きていきたいです。

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