「終活」という言葉をご存知ですか?
死と向き合い、残りの人生を自分らしく生きる為の準備が「終活」です。
この「終活」は本人が後悔しない人生を送るために必要ですが、残される家族のためにもなります。
「終活」に焦点を当てて残された家族の心にとって救いとなる終活の在り方を考えてみました。
遺っているものは故人のカケラ
ヨシタケシンスケさん著の「このあと どうしちゃおう」という絵本をご存知でしょうか?この絵本のストーリーは少し変わっていて、いきなりおじいちゃんが死んでしまったところから物語がスタートします。
おじいちゃんが死んでしまい、”ボク”が遺品の整理をしていると「このあとどうしちゃおう」ノートをおじいちゃんの部屋から発見します。「このあとどうしちゃおう」ノートには、死んだ後の天国の暮らしや、お墓の形をどうしたいのかなどおじいちゃんが死んだ後の世界が書き綴られていました。
このノートに出てくる天国や地獄、死後の世界観はとてもワクワクするもので、”ボク”も「おじいちゃんは、死ぬのが楽しみだったんだろうか?」と死を前向きに捉えるようになっていきます。しかし、ふと「本当は死ぬのが怖かったんじゃないか」とも思うのです。このノートからおじいちゃんが「死」をどのように捉えていたのかを探ろうとしますが、”ボク”のお父さんからは「ほんとのところはおじいちゃんにしかわかんないよねェ」と言われるのです。
この絵本に出てくる「このあとどうしちゃおう」ノートは、いわば終活のエンディングノートです。
エンディングノートとは?
- 本人情報
- 自分史
- 関係する人物との間柄や連絡先
- 財産について
- 介護や医療についての希望
- 葬儀やお墓についての希望
- 遺言書の場所等
などがまとめられたノートです。
エンディングノートを書く意味は、「自分が死んだ後の家族の負担を減らすこと」が目的です。
たとえばどういった葬儀にしたいかを残しておけば、葬儀のしかたで揉めることも少なくなりますし、財産目録などを作成しておくことで、遺産分けについても滞りなく進めることができます。人が亡くなったあとの手続きは煩雑で神経をすり減らすものですので、残された家族の負担を減らすことができます。
また友人や親族の連絡先をまとめておくことで、亡くなったことを連絡するときにも役立ちます。
「このあとどうしちゃおう」ノートは家族の負担を減らす力がある
絵本の中の「この後どうしちゃおう」ノートには、実際のエンディングノートと違って遺産のことなどは含まれていませんが、このノートがエンディングノートに近いと考えるのは、「残された家族の精神的な負担を減らす」ことができるものであるからです。
死生観は生きている間に家族間で話し合いをすることが少ないものです。それは、高齢者に対して「死」の話をすることはタブーであると考えているからです。私たちは、言葉で「死」の連想する話題を出すと、そのことが本当に「死」を連れてくると考えています。病気などで本人の状態が悪ければ、より死後の世界の話を本人とすることなどできないでしょう。生きようと頑張っている人に失礼な気がしてしまうからです。
しかし、いざ本人がなくなると「もっと話をしておけばよかった」と思います。死んでからでは、「死」についても他の話もできず、本人の希望が何であったのかを知るすべがなくなってしまいます。
”ボク”のお父さんからは、「結局、おじいちゃんが死ぬことをどのように考えていたのかはおじいちゃんにしか分からない」と言われますが、このノートがあることでおじいちゃんが考えていた「死生観」のカケラを手にすることができます。そして、それは残された家族にとって必ず救いとなります。
この絵本がすぐれている点は面白いだけでは終わらせないところ
この絵本は「死」に関するマイナスなイメージが全く出てきません。天国や地獄の世界もワクワクするものや面白いものとして描かれています。
しかし、読み終わってみるとやっぱりおじいちゃんが死んでしまったことが「悲しい」「寂しい」という気持ちにさせられるのです。
それは主人公がこのノートを通じて「死」について考えるからであると思います。また、遺品などから「おじいちゃんの死」を肯定できるように救いを求めてあれこれと考えます。それは実際に大切な人を亡くしたときの残された人の心の動きと同じです。
多くの大切な人の死を経験したことのある人こそ、この主人公”ボク”に感情移入ができると思います。
もし亡くなった肉親が「このあとどうしちゃおう」ノートを残していたとしたら?
もし肉親がエンディングノートを残していたとしたら、それを見ながら「○○さんらしいね」と親族間で故人の思い出を明るく振り返ることがもっと早い段階でできたと思います。
大切な人が亡くなった時には、故人のカケラは思い出の中や遺品の中にしか存在していません。
私にとって肉親の死は、突然やってきた受け入れがたい「死」です。しかし、もし本人が死を受け入れる準備をしていたとしたら、「突如として奪われた生」ではなく「生を全うした天寿」と考えることができたと思います。
遺言書も見つからなかったので、もしこのノートがあったら…と考えずにはいられません。
エンディングノートは残された家族の救いとなる
エンディングノートに出てくる内容は、いざというときには本人と話し合うことができないことが多いものです。
肉親は、延命治療を行うかどうかの選択も自分でできませんでした。そのため私の中に「もっと本人の希望を聞いておけばよかった」という後悔がいまも強く残っています。
このノートがあったら「本人の希望をかなえてあげられて最後の孝行ができたのに」と思います。
終活は残された家族のためにもなります。大切な人がいる場合は、どうか終活をしてエンディングノートを残しておいてほしいです。
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