「息子を怒らせるあなたが悪い!」と言い切った義両親をただの嫌な人たちだと思えば心が軽くなる

「息子を怒らせるあなたが悪い!」と言い切った義両親のことをただの嫌な人たちだと思えば心が軽くなるという話

この親にしてこの子あり。

モラハラ夫の両親は、モラハラ夫を産んだにふさわしい人間性である可能性が高いでしょう。

夫の暴言や非人道的な振る舞いを訴えても、

「あなたが至らないのでは」

「妻が夫をコントロールしなきゃ」

「怒鳴る人間を怒鳴らせるあなたが悪い」

「もう少し息子を立てなさい」

などと言われ、余計に傷つくだけです。

私自身も、モラハラ夫の様子を義両親に伝えたときに、思ってもみない反応が返ってきてひどく驚いたことが何度もありました。

特に、夫が決めたことや夫がしたいと言ったことで何か失敗したり不利益を被った時に

「妻であるあなたが止めなかったのが悪い!」

「なぜ止めなかったんだ?」

「そんなこともできないのか?」

「責任はあなたにある!」

と言われて、驚きのあまりに何も言い返せなかったこともありました。

理屈や理論は最初っから通じませんでした…。

そして、この親に育てられたからこそ夫はモラハラ夫に成長したんだとも思えました。

目次

甘やかすことは人を成長させない?「過保護」の罪は重い

子どもを育てるときに、子どもが望んだときに抱っこをしたり、家事の手を抜いても面と向かい合って話す時間を作ったり、愛情を注ぐことは子供の成長にいい影響を与えるでしょう。

しかし、甘えさせるのと、甘やかすのは大きく違います。

本来であれば、行いを正さなくてはいけない場面で叱られてこなかった子どもは、自らの責任を取れない大人へと成長していきます。

元夫は、夫自身が選んだことや夫自身がやったことに対しても、その全責任を他人や妻に押し付けることができる義両親がいたおかげで謝罪をしたり責任を取ることをしなくても済んでいました。

小さい頃からそんな環境で育ったため、周囲が責任を取ってくれることに何の疑問も持たなかったのでしょう。

離婚の話し合いのときですら、夫ではなく義両親と私で話し合いをしていたくらいです。

夫が怒鳴ったり、家で暴れたりすることについては、義両親は「もともとそういう性格だから、扱い方に気をつけろ」「怒鳴らせる方が悪い」と言い切っていました。

つまり、怒鳴る人間だと分かっているんだから、怒鳴らせないように気を遣って生活しろ。もし怒鳴るようなことがあれば、それはお前の配慮が足りなかったからだ、という理屈だったのです。

元夫がモラハラを治せないのは、モラハラの責任を感じたことがないからでは?

こういう両親の元に育ち、モラハラを身につけた夫は、自らの言動を省みることはなかったでしょう。責任は周囲に押し付けることができますし、本人はそのことに何の疑問も感じていなかったと思います。

小さいころ、勉強ができないことに対して、「それは母さんの頭が悪いからだ」「悪いところが似たな」と言われて育ったとしたら、勉強ができないのを母親のせいだと思うようになるでしょう。母親を責めることもあるかもしれませんし、努力しても無駄だと最初からあきらめて勉強する気を無くしてしまうかもしれません。

同じように「モラハラをするのは周囲があなたを怒らせるからだ」と言われて育ったら、モラハラが出たときも周りの責任だと本気で思うようになるのではないでしょうか。

周囲の責任だと思っているので自分でコントロールして止めなければいけないものだと思ったりしません。

モラハラを止めるような努力はするわけがないのです。

私の責任だと思っていたあの頃の自分を叱ってやりたい

義両親の言い分をおかしいと感じながらも、私が接し方を変えさえすれば夫のモラハラ行為が治まると思っていたあの頃。

「そんなことがあるわけないよ!」

「本人が努力しなければ絶対に変わらないよ!」

「義両親が言っていることがおかしいことに気が付いて!」

そう声をかけてあげたいです。

そもそも、自分の力で誰かが変わるということ発想自体が傲慢だったかもしれません。

ですが、愛情があるんだったら変わってくれるんじゃないかって思っていたんですよね。本人に気持ちがなければ、変わるはずがないのに…。

義両親も都合よく「息子をよろしく」「あなたのことを娘のように思っている」と言っていた

義両親の言葉がおかしいと思いつつも、「息子を頼んだ」とか「息子をよろしく」という言葉に、変に気負っていた自分がいました。「娘のように思っているから」と言われ、信用されているのかもしれないと心が動いたときもありました。

義両親の言葉の真意は分かりませんが、悪くとらえるのであれば、夫の問題をうやむやにしたり、責任を私だけに押し付けるための言葉だったのかもしれません。

不信感の募った相手からは、良いように思える言葉も受け取らないほうがいいのかもしれません。

表面だけ取り付くろわれた言葉は違和感を覚えるだけで、私に何の救いももたらしてはくれませんでした。

私が欲しかったのは「よろしく」という責任を私に背負わせる言葉ではなく、夫の行動の異常さを分かってくれたり、私の辛い気持ちを受け取ってくれる言葉でした。

義両親から時には聞こえのいいような言葉をもらい、その体のいい言葉に騙されて「いい人」だと思い込もうとすれば、私の心が壊れてしまうでしょう。

いい人のことを憎んだり、恨んだりする自分を作ってしまいます。

そうやって罪悪感を刺激して、責任だけ押し付けて、夫の悪いところも夫ではなく私を責め立てる!

どうでしょうか!

嫌な人だー!!!!!

ただ単に嫌な人たちです!

人の良いところだけを見続けることだってしんどい!嫌な人は嫌な人だと思えばいい!

世の中には、本当に嫌な人たちもいます。

「人の良いところを探しなさい」

そうやっても、自分ばかりが苦しいとき。

そんな時は素直に「嫌な人だ!」と思って良いんじゃないでしょうか。

この人のことは絶対に好きになれない!

そういう人がいてもいいんですよ。

そして、嫌な人のそばに居続けることは精神的にもよくありません。

かかわりを避けて、別々の人生を歩みましょう!

袂を分かち、将来的にも嫌いな人たちのために何もしなくてもいいと思えば、苦しい気持ちも次第に解消されていくでしょう
「息子を怒らせるあなたが悪い!」と言い切った義両親のことをただの嫌な人たちだと思えば心が軽くなるという話

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