離婚する際に、調停や審判、裁判など家庭裁判所を利用する場合、いままでは「面会交流」について取り決めるように強く圧力がかけられていました。
たとえ別居親がDV加害者で、同居親がDV被害者であっても子どもに被害がなければ面会交流を実施させるというのがいままでの家庭裁判所での流れだったのです。
私自身の離婚調停の際も、「面会交流は拒否できない」「面会交流をまず先に決める」と言われて話し合いに最も時間が割かれたのが面会交流だったのです。
しかし、ここにきて面会交流強制の流れが変わってきたようです。
きっかけは、次のようなツイートが流れてきたことです。
(家裁の方針変更?)
面会原理主義に緩和の兆しがみられます。
従前は、面会させようと調停委員や調査官がゴリゴリ押してきましたが、最近、その圧力が少し低下しています。
先日、同居親の意向調査に立ち会いましたが、「なぜ面会させない」と圧迫してきませんでした。
また、現在離婚調停中の方のつぶやきにも同じように、
「面会交流について言われたが、触れないでほしいとお願いしたところ、調停で話し合われることがなかった」
「面会交流なしになった」
という体験談が見られるようになってきました。
なぜ面会交流強制が緩和されてきたの?
この家庭裁判所の流れが全国的なものかは分かりません。
以前は、面会交流と養育費については子どもがいる家庭で離婚をする際には必ず話し合われるべき事項だとして、面会交流調停を申し立てていない場合でも、話し合うように強く勧められてきました。
しかし、面会交流をうまく続けるためには、双方の信頼関係がなくては難しいといえます。なぜかといえば、面会交流は単に親子の交流だけではなく、子どもの命を預けるも同然だからです。
もしかしたら、今までの家庭裁判所での強制的な面会交流の実施が不適切だったと、少しずつ見直されてきているのかもしれません。
面会交流中に起きた事件「子どもとの無理心中」
面会交流中に父親と子どもが二人っきりになり、子どもと心中してしまった事件もあります。(元夫と4歳の娘、面会交流初日に無理心中 謝り続けた母)
この事件では、面会交流終了時間になっても連絡がない事から、不審に思った同居親が警察に届け出て事件が発覚。母親は、子どもを守れなかったことを今も悔やみ続けているそうです。
子どもとの適切な関わり方が分からない
また、結婚生活中に育児にかかわってこなかった親が、離婚したと同時に行われる面会交流で、扱いの分からない子どもの世話をすることも現実的ではありません。
特に子どもの年齢が幼い場合、子ども自身が自分の世話をできないため、必ず保護者が面倒を見なくてはいけません。
オムツの交換、食事やトイレの介助、子どもがぐずったり泣いたときの対応。外で会う場合は、飛び出しや転落などにも注意しなくてはいけません。
今まで子どもと関わってこなかった親ほど、現実的に子どもを預かる上でやらなくてはいけないことを想像させることができません。ただ子どもと遊べばいいと思っていると、実際に預かってから分かる苦労の多さに気づくことになります。その時に「やっぱりできない」と放棄していては遅いのです。
同居親と別居親が協力し合わなければ面会交流はうまくいかない
つまるところ、面会交流をうまく実現させるためには、同居親も別居親も子どものことを考えて、さらにはお互いが子どものために協力しようという姿勢が必要不可欠です。
しかし、家庭裁判所に問題が持ち込まれるような夫婦においては、この時点で双方の(もしくは片方の)信頼関係は大きく損なわれています。
自分を殴ってくる配偶者に対して、子どもが殴られる危険があるにもかかわらず預けようとする気にはなりません。
また、今まで子どもを見てこなかった配偶者にいきなり面会交流をしたところで、子どもが適切に世話をしてもらえるとは思えません。下手をすれば命を落とすことにもなります。
子どものためになる面会交流を行うためには様々な障害を乗り越える必要がある
今まで子どもの世話をしてこなかった別居親には、子どもが喜ぶことは何かを伝えたり、実際に世話を任せられるように世話の仕方を教える必要があります。
また、暴力や暴言がある場合といった場合には、本人が暴力や暴言を改善するために適切なカウンセリングを受けたり、更生プログラムなどに参加する必要があります。
それにもかからず、まったく何もしていないのに強制的に面会交流を行うとすれば、
- 信頼できない相手に子どもを預けなくてはいけないという葛藤
- 子どもに不適切な面会交流条件
- 子どもへの不適切な関わり方によって生まれる子どもの問題(情緒不安定など)
といった様々な問題がさらに面会交流のために噴出し、離婚問題をこじれさせることになります。
元夫が面会交流実施の条件として提示してきたもの
ここで私のケースを紹介します。私の場合、子どもが0歳の時に別居→調停→離婚だったため、まだ幼い子どもとの面会交流の条件を決めるのは非常に時間がかかりました。
というのも、夫自身が「0歳である我が子の面倒が見れないこと」を調停の場でも主張してきており、その上で「母親(私)の同席は絶対拒否する」と言ってきたためです。
子どもが未就学児の場合、母親が同席の上で面会交流を行うことは一般的です。
しかし、この母親同席がまた、摩擦の多い夫婦関係で折り合いがつかない部分でもあります。調停離婚の場合は、多くの場合非常に夫婦関係がこじれて人間関係まで破綻しているケースが多くあります。中にはDVやモラハラなどで面と向かって会うことすら難しいケースもあります。
そして何よりも、夫婦間が争う姿を面会交流中の子どもに見せることはよくありません。いさかいの多い夫婦が面会交流をするということは、子どもへの悪影響もあるのです。
私を不安にさせたこと「子どもの連れ去り」
夫が提示してきた条件にはさらなるものがありました。
幼い我が子の面倒を見られない人に子どもを預けるのにもかかわらず、子どもが泣いたりぐずったりしたときにすぐに子どもの面倒を見られる場所ではなく、わざわざ別の建物で待たなくてはいけない理由は何でしょうか?
しかも、この時にはまだ子どもは授乳中であり、長く相手に預けることができるような年齢でもありません。
夫側は条件の理由を、「母親の姿が見えれば、子どもは父親ではなく母親のところに行き、交流にならないから」だと主張してきました。
しかし、私が頭によぎったのは、別のことでした。
子どもの様子が確認できる場所ではなく、すぐに駆け付けることができない別の建物で待機するという条件は、私に「連れ去り」の可能性を考えさせるには十分でした。
現実の子どもの成長にふさわしくない面会交流を想定
また、元夫は、「どのような面会交流を考えているのか?」について、0歳の子どもに対して動物園で半日ほど遊ぶと答えてきました。
子どもに負担がない面会交流がどういったものなのか、おそらく夫がよくわかっていなかったのだと思います。
調停委員からは、「お子さんに詳しいあなたの方から、面会交流の条件を提示したほうが良いと思います」と言われました。
私はまだ子どもが幼いために次のような条件を提示しました。
- 天候に左右されない場所
- トイレ、オムツ交換台がある場所
- すぐに授乳ができるような配慮(授乳室など)
- (私の)自宅から近い場所
しかし、これらの条件は却下されました。
夫は自分の自宅付近や、自分の弁護士を同伴させての面会交流など自分にとって都合のいい面会交流条件を提示し、結局この話し合いでも「子どものためを考えることができない」ことが浮き彫りになりました。
子どものために話し合えないことほど挫折感を味わうことはない
私は、面会交流での話し合いで、夫が自分のことばかりを考えた条件を提示してくることに辟易していました。
何よりも、まだ幼い子どもよりも自分を優先させる考え方が嫌でした。
私たちは子どもを持てば「親」です。周囲からも「親」として見なされます。しかし、「親」になったからと言って、すべての人が親としてふさわしい振る舞いができるかといえばそうではありません。
面会交流では、親としての振る舞いが求められます。
子どものことを何よりも優先的に考えて、自分の気持ちは譲歩する、それができなければ「子の福祉のために面会交流を行う」という大前提が崩れてしまいます。
「俺が」「私が」「親が」「親の権利が」という話し合いをしている以上、子どもにとってふさわしい面会交流が実現されることはないと私は思います。
家庭裁判所でも、「面会交流を行うことが子どものためになる」ではなく、「子どものためになる面会交流を行うためには何をするべきか」を考えて、話し合いを進めてもらいたいと思います。
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