なぜ自分の好きなものが選べないのか?自分がない人はこうして生まれる

自分がない人はこうして生まれる

夫は、洋服や靴などの買い物に行ったときに、自分で自分のものを選べない人でした。

会社に来ていくスーツもネクタイも、私服もメガネも買うときには必ず私が付き添い、すべて「どれがいいと思う?」と私に聞いてきて、私が選んだものを買っていました。

私自身は人に似合うと言われても自分の好みでない場合はそれを買うことはしない性格なので、人に自分の身につけるものを選んでもらう夫のことがよく分かりませんでした。

なぜ、自分の好きなものを買わないのだろうか?

それがいつも不思議でした。

目次

好き、嫌いが分からないのはナゼ?

子どものときからある好き嫌い

「好き、嫌い」と言うのは、幼い子どもを見ていると親がどうのこうのいうよりも前に自らの中から湧いて出てくるもののように思います。

物心つく前から好きなオモチャが決まっていたり、食べ物の好き嫌いも離乳食のころからあります。

まだ言葉をしゃべる前の0歳のときから自分が何が好きで何が好きでないかをよく分かっているな、と感心します。

では、大人である夫がなぜ自分の好きなものが分からないのでしょうか、小さい子どもにもある好き嫌いの感情はどこに行ってしまったのでしょうか?

大人になる過程で「好き嫌い」を捨ててきた

それは恐らく、子どものころから周りに合わせて生きていくうちに自分の「好き嫌い」と言う感情を捨ててきたからではないかと推測します。

ここで、元夫のエピソードを一つ。

義両親は「それはダメだ!」とはっきり否定をするタイプの人でした。

夫の義両親の意見にそぐわないことは、30歳を超えた大人の夫にも「そんなことはダメだ!」と強く反対をしていました。

義両親は夫が言うことを聞かないときには、徹底的に大人数で抑え込もうとしたり、怒りの態度を取り、言うことを聞くように強要していました。それは、大人になった今も、です。

小さいころからこのような環境で育ってきた夫は、生来の性格などもあり、反発するのではなく義両親の言うことに従うようになっていったのだと思います。

そうして、自分の「好き、嫌い」を外に出すと圧倒的な力で抑え込まれる経験を通じて、自身の「好き、嫌い」は、他者(ここでは義両親)の「していいこと、悪いこと」に置き換わっていったのだと思います。義両親が良いということは、夫にとっての好きで、義両親が悪いということは、夫にとっての嫌いである、と。

夫が好き嫌いが分からないのは、子どものときから好き嫌いがなかったというよりは、元々はあったのに成長の過程で失った(捨てざるを得なかった)結果なのだと思います。

「正解」を選ばないといけないしんどさ

好き、嫌いと言うのは本来は個人の好みの問題ですが、その「好き」や「嫌い」を表現したときにその感情を抑え込まれる経験をした場合、「好き、嫌い」にも「正解がある」と言う考えを身につけるようになります。

そして、自分のうちから湧き上がってくる「好き、嫌い」の感情を「正解に合わせて正される」ことで、本来の「好き、嫌い」が分からなくなってしまいます。

自分では「好き、嫌い」は分かりませんので、そうしたらもう、誰かに判断してもらわざるを得ません。

服を選ぶときに自分で選べないのは、好き嫌いではなく、どれを選ぶのが正解なのだろう?と思っているからです。

選択肢の中から「正解」を見つけ出さなくてはならないのですから、選べませんよね。だって、正解なんて本当はないのですから。

私だって正解はわかりません。私は自分の好みのものを選んで夫に言っていただけです。

自分の子育てで気を付けている事

私が子育てで、子どもの感情を否定することだけはしたくない、と考えています。

子どもが好きだと思うもの、嫌いだと思うもの、嫌だと思ったこと、嬉しかったことなど、それが親である私と違っていても、子どもの感情をまず受け止めることをしていきたいです。

子どもと自分の意見が違うときは、どうしたらいいのかを、その都度考えていけるように日々努力していきたいです。

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