モラハラ行為やモラハラ被害は被害者の心にどんどんとたまっていくものであると私は考えています。
そうして、モラハラ被害でいっぱいになったモラハラ被害者の心はどうなっているのか、自身の体験をもとに解説します。
被害者がモラハラを許容できなくなる理由
ある日、モラハラに耐えられなくなる、モラハラ夫との離婚を決意する
恐らくモラハラ被害に遭われている方の心理は、こんな風ではないでしょうか?
最初の一回のモラハラで、「どうしても耐えられない!」「離婚する!」とまで思う人はほとんどいないでしょう。
モラハラ被害者が、ある時を境にモラハラを許容できなくなる理由
それはいままでも散々モラハラを受け続けてきているからだと私は考えます。
1回目の、たった一つのモラハラに対して、
「どうしても許せない!」
「離婚しかない!」
と思ってはいないんです。
私自身も、結婚当初は夫のモラハラに対してそこまでピリピリとしていませんでした。
1つ目、2つ目のモラハラは「そこまでたいしたことではない」だと被害者だって思っています。
しかし、それが10、20、30…99、100と続いていくうちに、モラハラ被害がどんどんと心の中にたまってきます。
長い間モラハラを受け続けた結果、コップからあふれる水のように、モラハラ被害を「些細なこと」だと受け止めることができなくなり、許容できなくなるのです。
いままでの積み重ねたモラハラがモラハラ被害者の中にはあります。
そして、101個目のモラハラが許せなくなる
これがモラハラ被害者の心理です。
相談を受けた人は、コップの水があふれている状態に気づくことができない
一方、相談を受けた人は、被害者が1つ目、2つ目のモラハラを受けているときと同じような心理状態にいます。
だからこそ、
「話し合おうとしたら、家を出ていって朝まで帰ってこなかった」
「1週間、ずっと無視されている」
そう言うと、
「なんだそんなこと。」
そう思われてしまうのです。
もちろん、それがやられたら嫌なことだとは相談を受けた側だってわかっています。
しかし、被害を受けたことのない人には、モラハラ被害が蓄積されていることを理解することが難しいのです。
あなたが一つ目のモラハラを受けたときの気持ちを想像すれば、その理由を理解できると思います。
私たち被害者が、
「モラハラがもう耐えられない」
そう思うのは、モラハラを受け続けコップからあふれてしまったからです。
コップからあふれる前は、被害者自身も「これくらいのことで離婚なんてするはずがない」と思っていたはずです。
コップにたまって言ったモラハラ被害の水は、言い換えれば、配偶者への悪いイメージや嫌いだという感情でもあります。
もし、配偶者に対して好きな気持ちやいいイメージがたくさんあれば、相手のモラハラを許すことができるでしょう。
逆に悪いイメージが積み重なったり、嫌な人、嫌いな人だという気持ちがたくさんあれば、次のモラハラも許せなくなってしまうのです。
モラハラ行為について、結婚当初は許せていたかもしれません。しかし、それが何度も繰り返されるうちに、モラハラ被害が被害者の中にたまっていきし、次のモラハラを許容できなくなります。
周りからはそんな些細なことで、と思われるかもしれませんが
たった1つのモラハラだけで評価しているわけではありません。
モラハラ被害を受け続けたために、
これ以上のモラハラには耐えられないと思うように気持ちが変化したのです。
突然ですが、柴田勝家をご存知でしょうか?
織田信長に仕えた重臣であり、エピソードはよく知らなくても名前だけは聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
1570年、柴田勝家と六角承禎の戦いが長光寺城で行われました。
このとき、六角承禎の軍は5000、それに対し柴田勝家の軍は僅か800だったそうです。
まともに戦っては勝てる術はありません。そこで、柴田勝家とその軍は長光寺城に籠城(城の中に立てこもること)しました。 堅く閉じた城に六角承禎は攻め入ることができませんでした。
このままでは時間ばかりが過ぎていき決着がつきません。そこで、六角承禎は、城への水源を断ち、水責めを行ったのです。
水がないと生きることができません。六角側はライフラインである水を断ち切る作戦で、根を上げた柴田勝家軍を城から出させ、降伏させようとしました。
さて、城の中では大変です。水が底をつき、生か死か、予断を許さない状況になりました。
城の中にある水は残りあと3樽分。とても城の全員にいきわたる量ではありません。
そこで、柴田勝家は城の中の兵を集め、みんなの前でこういいました。
「城にある水はこれですべてだ」と。
兵たちは恐らくこう思ったでしょう。
この水を分け合って飲んだ後、これからどうするのか作戦を考えなければ、と。
しかし、ここで柴田勝家はとんでもない奇行に出ました。
なんと、残り僅かの水の樽を割り、すべて台無しにしてしまったのです!
これを見ていた兵はボーゼン・・・。もう生き残るすべはない、と絶望したに違いありません。
しかし、ここで柴田勝家こう言いました。
「このままここで死を選ぶか、外に出て戦い活路を拓くか、選べ」と。
目の前の水を失った兵たちは、みすみす自らの死を選ぶか、万が一勝てるかもしれない戦いに身を投じるか選択を迫られました。
どちらにしろ死ぬ確率の方が高いのであれば、ただ死を待つよりも生き残るかもしれない万が一にかける、と兵たちは奮起し表に出ていきました。
そして一大発起した兵たちは、城の周りにいる5000もの軍を倒し、勝ってしまったのです!
もし、ここで水を飲んでから戦いに出かけていたらどうでしょうか。おそらく兵たちは5000もの大軍に勝つことはできなかったと思います。
兵たちは水を失った瞬間、強い怒りに襲われたでしょう。
柴田勝家はその怒りを敵兵に向けさせることで、一大発起するパワーに変えました。
なおかつ、水がない状況で死に追い詰められたからこそ、普段と違うパワーを発揮し、何倍もの大群に勝てたのです。
これは、柴田勝家の名采配があってこその勝利。柴田勝家の名将っぷりを評価するエピソードです。
このエピソードを聞いて、どう思われましたか? 多くの人が「柴田勝家すごい!」と思ったのではないでしょうか。
そして、同時に兵たちの彼への絶対的な信頼を感じるエピソードでもあると私は思っています。
このエピソードから読み取れることは柴田勝家と同じ行動を取ったからと言って、誰しもが同じ結果を導き出せるわけではないということです。
樽の水を割る場面、下手をしたら柴田勝家は怒った兵たちに殺されていたでしょう。
しかし、柴田勝家への信頼があったからこそ、彼の言葉に動かされ、勝利を収めることができたのだと思います。
1つの行いの評価を左右するのは、それまでの積み重ねです。
この場合、それまでに柴田勝家と兵たちの間に信頼関係が築けていたからこそできたのだと考えられます。
これは、言ってみれば、モラハラ加害者のモラハラが耐えられなくなるのと真逆のエピソードです。それまでの相手へのいい印象、信頼する気持ちがあったからこそ成し得た名勝利!
柴田勝家の評価が低ければ、その場で部下に殺されていたかもしれませんよね。
周りの人に理解されなくても被害者の心の声がすべて
「こんなことで離婚するの」
「心が狭いんじゃないのか」
「あなたはちょっと神経質すぎる」
「お互い様の部分もあったんじゃないの」
と言った周りの声にモラハラ被害者が心を痛めることはありません。
他の人が評価するのは一つ一つのエピソードについてだけ。そのたまったモラハラ被害を理解してもらうのは難しく、それゆえに被害者でなければその深刻さは分からないのです。
被害を受けているのはあなたです。あなたが深刻なハラスメントだと評価すればそれがすべてです。
どれだけ苦しい思いをしているのかは、被害者本人にしか分からないのですから。
蛇足
ちなみに柴田勝家は上の一件以来、「鬼の柴田」と呼ばれるようになったそうです。(笑)
でも、どうでしょう?このエピソードを称え、親しみを込めて周りの人がそう呼んでいた、そんな気がしませんか?
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