モラハラ夫が嘘つきなのは脳の仕組みによるものだった⁉

モラハラ夫が嘘つきなのは脳の仕組みによるものだった

この記事では、自閉症スペクトラム障害における「時間分節の難しさ」に焦点を当てて、なぜモラハラ夫が嘘つきなのかを脳の仕組みから考えてみました。

あくまでも私自身の見解であり、学術的なものではないことをあらかじめご了承ください。

目次

自閉症スペクトラム障害は、「時間を区切ること」が難しい

時間は川の流れのように常に流れているものであり、物理的な終わりはありません。しかし、私たちは時間を心で区切ることによって1日に様々なことをやることができたり、必要なタイミングで食事をしたり排泄をしたり休息を取ることができます。

私たちはやっている物事そのものが終わっていなかったとしても、時間に区切りをつけて途中のままのものをそのままにして次の動作に取り掛かることができます。たとえば、仕事が終わっていなかったけれど子どものお迎えがあるから定時に帰ること、昼になったから仕事をやめて昼ご飯を食べることなどです。

常に流れている時間を、自分が決めたタイミングで断ち切ることによって、「時間を分節化」し、始まり、途中、終わりをつくることができるわけです。

哲学者のポール・リクールはこのことを「詩的創作」と呼びました。

自閉症スペクトラム障害の人は、この「詩的創作」が難しいのではと考えられています。

遊びの切り替えができない子ども

自閉症スペクトラム障害の子どもは、「場面の切り替え」が難しいといわれています。

たとえば保育中に「自由遊びをやめてお散歩に行くよ」と言ったときに、今やっている遊びを途中で終わらせることができないといったことです。

保育中には遊びの時間、トイレに行く時間、ご飯やおやつの時間と保育士が「時間を分節化」することで1日の中で様々なことを行っていきます。

自閉症スペクトラム障害の子どもは、保育士の言葉がけが聞こえないかのように今やっている遊びを中断させることができません。

その理由をかつては「発達障がい児は保育士の言葉の意味が理解できない」からだと考えられてきました。

しかし、同じ行動を際限なく続けてしまったり、はたまた時間を少しでも過ぎれば強制的に終わらせるといった行動の原因が、子どもの中に分節化した終わりがないために行動を終わらせることができない(自分の中で「終わらせることができない」ために時間を過剰に区切る)のだと分かってきたのです。

なぜ時間を区切ることが難しいのか?

自閉症スペクトラム障害の人が時間を区切ることが難しい。その理由は、生理的な感覚が鈍いために時間を区切るのに時間がかかるからだといわれています。自閉症スペクトラム障害児は、トイレに行きたい感覚がギリギリまで分からなかったり、眠たいことが分からないために寝ない、お腹がすく感覚が分からないためにご飯を食べないといった行動が見られます。

時間を区切るためには「終わり」を意識する必要がありますが、この感覚が鈍いために「時間の分節化」がすぐに行われません。

そして、常識的な範囲を超えてしまい、普通の人と共有できなくなることが問題になってくるのです。

時間を区切った時に過去の出来事を振り返り一連のストーリが意識される

保育士が「上手にできたね!ここで終わりにしましょうね」と言葉がけをしたときに、子どもは、今自分がやってきたことの終わりを意識すると同時に、始まりからの経過を振り返ることになります。どういった課題に挑戦して、結果どうなったかということを理解するのです。

子どもは「上手にできてうれしかった」とか「ここをつくるのが難しかった」とか一連のストーリーの中で印象的なものを話してくれるでしょう。

このように終わりを意識することで、流れていく時間感覚を心で止め、意識的に過去を振り返ることができます。

起こった出来事がそのまま時間とともに流れていってしまえば、意識の対象として残ることはありません。

つまり、時間を区切る「終わり」になった時に自分がしてきたことを意識的に振り替えることで「始まり」から「終わり」の一連のストーリーを意識し、記憶として定着するのだと考えられます。

モラハラ夫が真実を間違って記憶しているのはなぜなのか?

私たちは無意識的にかつ当たり前のように時間を分節化することにより、終わりに一連の物語を振り返り、意識しているということが分かりました。

一方で、時間の分節化がなくそのまま流れていってしまえば、物語を意識的に残すことはできません

理由1:エピソード記憶ではなく人から言われた言葉を記憶する

乳幼児期の子どもは、自分の過去の経験は、「保育者や大人が言語化してくれたもの」であるそうです。大人が言語化してくれて初めて、自分がどう感じていたのかを自覚、理解するそうです。つまり、幼いときは他者の言語化という力を借りて、自分に起こったエピソードや気持ちを整理しているのだといえます。

過去の一期間に起きた出来事を意識し、さらに言語化することに困難がある場合、自分の中の意識的な感覚にある過去のできごと(記憶)ではなく、他者から言語化されたものをそのまま真実としてインプットしているのかもしれません。

そしてそれは、言語としてインプットしたものであり、自己認識におけるエピソード記憶ではないために、時間の経過と共に記憶が変わりやすく、意識していなかったとしても改竄されていってしまう可能性があります。

たとえば、

「あなたが私の大切なものを壊して悲しかった」

と言われれば、そのうち大切なものを壊したのは被害者になり、悲しかったのが自分になるといったことです。(しかし、何を壊されたのかは覚えていません。)

考察

夫はエピソードに対する自分の意思や感情を「言語化」することが得意ではないように見えました。そして、言語化できない部分を「人の言葉を借りて」補っているように見えたのです。

感情の感覚の薄さのために言語化することがむずかしく、過去のエピソードを認識するためには人の言葉で補う必要があるのではないかと思います。そして、言語化できなかった部分を人の言葉で補ったときに物語が認識されるため、実際に起こったことと記憶されたことに乖離が起こるのではないかと考えています。

理由2:嘘をついているうちに記憶が上書きされる

中には、起こった出来事が自分にとって都合が悪いため、嘘を交えて人に話しているうちに嘘の方が真実であると記憶を塗り替えてしまっているケースもあります。

物事を意識化する際に、自分で都合のいい嘘を言語化することで嘘を真実であるかのように記憶にインプットしていくという方法です。

これは上のやり方と原理は同じではありますが、時間の経過と共に真実が変化していくのではなく、自ら真実を能動的に変えていきます。そして実際に起こったエピソードを意識に残していく力が弱いために、記憶を変えることが成り立つのだと考えられます。

いずれにせよ彼らの中では真実ではないものを強く真実だと思い込んでいき、事実ではないことが真実そのものなのです。それを正すのは困難を極めるでしょう。

モラハラ夫との会話は録音をしておくべき

真実を理解してもらおうと言葉を尽くしても、そもそも彼らの中には起こった出来事を記憶(意識)していない可能性があるのです。

このように、あなたが訴えたことが逆に相手が訴えたことになり、加害者と被害者が逆転するといったことがよく起こります。

起こったエピソードに誤りはないのに、なぜか登場人物の役割が逆転しているといったことが頻繁に起こるのであれば、真実を残すためにも、レコーダーなどに会話を録音しておくことが必要です。

中には、証拠を出されてもなお真実を認めようとせずに証拠を「ねつ造」だとする場合もあります。

まとめ

  • 人からの言葉を記憶していて、自分の体験したエピソードを記憶しているわけではないのかもしれない
  • エピソード記憶ではないため、時間と共に記憶(真実)が変わりやすい。
  • 内容が変わることを想定して、話し合った内容を録音しておくことが望ましい。

私たちは、起こった出来事をそのまま記憶しているのではなく、心の時間を止めて過去を振り返り認識することで、初めて意識の上にのぼるということですね。

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