今回は、私が離婚を決意したときのお話です。
多くの夫婦が結婚生活の中で「一度は離婚を考えたことがある」のではないでしょうか。
私自身、夫から離婚を切り出されたのは一度ではありませんでした。それでも、努力をすれば結婚生活は続けられると信じて、離婚をせずに済むように選択をしてきました。しかし、最終的には夫の離婚を受け入れ、私自身も離婚する道を選択することにしたのです。
それまでの「離婚をしないように選択をする」から「離婚をすることを選択する」に変わった一番の理由は、夫婦間の信頼関係が崩壊したことでした。
ある日、夫から「病気の原因はお前だ」と言われる
夫は職場での人間関係がうまくいかず、特に上司との間で強い摩擦を抱えていました。私と夫が出会う以前から長いこと人間関係でのストレスがあったようです。そして、ストレスを抱えきれなくなりうつ状態が悪化。クリニックで服薬治療を始めました。
クリニックにかかるとき(私は付き添いはしていませんでしたが)、病気の原因は職場でのストレスだと話をしたそうです。私にも職場でどれだけひどい目に遭っているかを話していました。私もその話を信じて、辛い夫を支えようとしていました。
しかしある時「病気の原因は妻であるお前にある」と夫から言われたのです。
その言葉を聞いたとき、立っていられないような、膝から崩れ落ちるようなとてつもない脱力感を覚えました。
今まで支えようと努力してきたことは何だったのだろう…と。いままで怒鳴られても「病気である」と耐え、たとえ丸1日寝ていても休息が必要だとそっとしておき、夫の支えになるようにしてきたことがすべて無意味だった。むしろ、私がいたことで夫は病気になったのか。
またこうも思いました。
もしそれが本当であれば、私が夫と一緒に暮らしていくことは夫にとってマイナスになるのではないか。支えると私が思っていたことは、夫にとっては全く意味のないことだったのではないか。
一方で嘘であれば、私が夫と暮らしていくことはできないほどこの人のことがもう信頼できない、と。
いずれにせよ、私はもうこの人のために頑張ることはできないと思ったのです。
夫婦関係に限らずすべての人間関係で、お互いに付き合っていくことでマイナスの影響しかないのであれば、その関係を維持する必要はないと私は考えています。私の場合、夫が「病気の原因はお前だ」と言い出した時点で、自分自身も夫と我慢して関係を維持していたのに加え、私という存在が夫にとってマイナスになっているのであれば、夫婦関係を続けることにデメリットしかないという結論に至りました。
努力した先にあった「離婚」 出来る努力はやりつくしたので後悔はなかった
結婚生活中、夫と一切の話し合いができなかったため、自分が思いつくあらゆる方法を試しました。時には手紙を書いてみたり、時には自分の気持ちをストレートに伝えてみたり、それでも私の気持ちを受け取るということをしてはくれませんでした。
話し合いができないのは、「病気のせいだ」と本人が言うので、夫はクリニックに通い薬物治療もしました。しかし薬の治療も効果はなく悪化していきました。
5年間の結婚生活でできうる努力はすべてしたので「これ以上もう努力をできることは無い」と自分自身で結婚生活に終止符を打つことができたのだと思います。もし、やり残したことがあれば「あの時もっと努力をしていたら結婚生活を続けられたかも?」と後悔してしまっていたかもしれません。離婚を決意したときは「すべてやりつくして後悔のない」状態でした。
努力はもう実らないものだと分かり、あとは私が一方的に我慢するかどうかでした。私は我慢する道を選ぶ気にはなれませんでした。
他の夫婦を見て羨ましいと思う気持ちは当然ある
まだ子どもも小さく、父親がいないという状況がこの先どのような影響を与えるのかは分かりません。
両親が揃っている家庭を子どもたちに与えることができなかったことを非常に申し訳なく思っています。
ご夫婦が仲がいい子ども連れの姿を見ると正直、羨ましいという気持ちはあります。
しかし、それは私が元夫と描くことができる夫婦像、家庭像では決してありません。
仲の良いご夫婦を見て羨ましいと思うのは、自分が手に入れることができなかったからというのはもちろんあるでしょう。しかしながら、私が想像する理想の夫婦像、家庭像の隣にいるのは、元夫ではありません。元夫と理想の家庭をつくりたかったという気持ちは1ミリも持つことができないほど元夫へ期待は全くありません。
羨ましいという気持ちは目の前のご夫婦が素晴らしいからです。元夫が劇的に人が変わって、素晴らしい人間になることを望んでいるわけではないのです。そんなことは起こりうるはずもありませんからね。
離婚で私が手に入れたもの
そして、羨ましいと同時に幸せな気分にもなります。
結婚生活では理想の家庭を思い描くことはできませんでした。いまでは離婚をしたことでかえって、幸せな家庭を肯定的な気持ちで見ることができます。
それは目の前の家族のような幸せな家庭像を、元夫とは築けなかったけれど、自分と子どもたちであれば築けるのではないかと前向きな気持ちでいられるからです。
夫との結婚生活では、我慢すれば結婚生活を維持することはできましたが、それは決して幸せな家庭ではなかったのです。そして、努力は何の意味もありませんでした。
私は夫を失いはしたけれど、幸せな家庭を手に入れることができるようになりました。
これから努力すれば幸せな家庭をつくることができるのです。それが私が離婚したことで得たものです。
まとめ
離婚を決意するまでには、いろんな出来事がある中で、ある日決定的な一打がありそれが引き金となって離婚に至るものだと思います。
夫婦関係も、継続して努力し続けなければ、関係を続けることはできません。
私の場合は、努力ではなく「我慢」でしたが、「我慢をする気がなくなった」とき、キッパリと離婚を決意したのです。
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