大切な人を亡くした場合でも、悲壮さを感じさせずいつも通りに明るく振舞う人もいますし、引きこもって表に姿を現さなくなる人もいます。
気持ちをパッと切り替えられる人は強く、いつまでもウジウジと悲しみ続ける人は弱い人間なのでしょうか?
感情は表面上で判断しがち
私たちは、自分が見たものや耳で聞いたものだけで物事を判断しがちです。すると表面上には見えないことであれば無いものだと捉えますし、逆に表面によく見えているものはより強く印象に残ります。
他人の感情に対してはこの傾向がより顕著です。なぜなら他人の感情というのは、目で見ることができないからです。顔をゆがめて泣いていれば悲しいのだと悟り、目を細めて笑っていれば楽しいのだと受け取ります。
しかし、大人になれば、感情をそのまま外に表現することにためらいが生じてきます。感情を出すことは恥ずかしく、みっともないと考える人であればなおさら、気持ちを外に表現することが難しくなるでしょう。
悲しみは共有したくない人が多い
私自身、コメディ映画やアクション映画など笑って楽しめる映画は人と一緒に見に行きたいタイプです。一方で、ドラマチックで泣いてしまうようなストーリーの映画では、映画館で見るよりもレンタルやオンデマンドでひっそりと見ることを好みます。
楽しさや面白さというのは人と共有したいですし、共有することでより楽しさが増すものだと考えています。
しかし、悲しいものについては良い大人が人前でできるだけ涙を流したくないという自制心が働き、心のままに映画を楽しめることができなくなることから、できるだけひとりでひっそりと楽しみたい(悲しみたい)と考えています。
悲しみというのは大人になるほど、人前でそれを表現することが難しくなっていきます。また、悲しみを人と共有することもしたくないと考えています。
悲壮さを感じさせずにいつも通りにふるまう人も、引きこもって姿を見せなくなる人もどちらも、「悲しみを共有したくない」ことが行動の本質であるのではないでしょうか。
共有したくない感情は外に出したくない
海外のドラマなどで放送に笑い声が入っているものがありますよね。人は笑い声を聞くと自分自身も楽しい気持ちになるということが知られています。つまり、感情というのは他人の様子に引きずられるということ。しかし、それは楽しさばかりではありません。
卒業式などで卒業生が泣いている様子を見て、もらい泣きをした経験がある人も多いかと思います。
悲しさもまた、伝染するのです。
こういった経験を通して私たちは、相手に共有してもらいたくない感情ほど外に出したくないと考えていきます。
特に、自分だけが悲しみを背負っている場合、悲しむことで相手が背負っていない悲しみまで背負わせてしまうことにはためらいがでてきます。
反対に、同じ傷を持っている人に対しては、共感してもらいたいと思い、積極的に感情を表現することだってあります。
悲しくても悲しさを表現できないのはふさわしい場ではないから
仕事をする上では、自分のプライベートの感情を伝えるのは恥ずかしいという気持ちが生じます。何事もなかったかのようにふるまうことで、周囲からは悲しさを乗り越えた強い人だと目に映ることもあるでしょう。
大きな悲しみを背負っている場合でも、その悲しみを表現することができないのはそれが単にふさわしい場所や相手ではないというだけかもしれません。
カラッとしているウジウジしているのは表面上 本当の気持ちはわからない
いつも通りにふるまう人は、一見強く見えます。しかし悲しさを見せないだけ周りに誰もいないところで泣いているかもしれません。また、周囲から同情されたり可哀そうと思われたりすることが嫌で、悲しみを表現できないのかもしれません。
引きこもって姿を見せなくなる人は、悲しさを隠すことができないけれど、やはり人に見せたくないために心が落ち着くまでは人前に出ることを躊躇しているのかもしれません。何かに絶望しているわけでもなく、人生を悲観しているわけでもありませんが、悲しみと向き合う時間を長くとりたいと考えているのかもしれません。
表面上は違った反応をしているように見えますが、表現方法が違うだけで悲しい気持ちは同じであると考えていいのではないでしょうか。
悲しみが長く続いても弱いわけではない
結局のところ、周囲が判断しているのは表面的な部分だけで本当に精神的に強いのか弱いのかを判断することはできません。「あの人は強い、強く見える」というのは周囲の評価にすぎません。
自分だけが悲しみが続いている、乗り越えられず前に進めないと判断し、気持ちを切り替えられないことに自己嫌悪する必要は無いのです。
悲しみが1か月、1年、10年と続いてもいいのです。20年たってさえ、時には故人を思い出して涙することだってあるハズです。
悲しさを早く処理しなくていけないことはありません。
人の死ほど大変なことは無いのですから。
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