DVやモラハラ夫にとって人を攻撃した体験談はステータスである

DVやモラハラ夫にとって人を攻撃した体験談はステータスである

DVやモラハラ加害者が自身の加害行為についてどのように認識をしているかご存知ですか?

残念ながら、加害者側と被害者側とは相容れぬ大きな溝がありました。

私の夫の振る舞いや他の人の体験談から分かる、加害者側の認識をお伝えします。

目次

DVやモラハラ行為を自慢する理由

yahoo知恵袋に投稿されたある方の体験談です。

私の夫は怒りやすくどなりちらしたり私への暴力も多々あります。
車の運転も荒く、クラクションを鳴らされたら、追いかけまわしたり、その車の横につけてどなりちらしたり。

口癖のようになめた口きいたら殺すぞと言ってきたり、職場の同僚にも蹴るなど暴力を振るっているらしく自慢げに話してきます

この方は夫からDVを受けていましたが、この方の場合は夫は職場でも同僚に暴力をふるっており、さらにそれを自慢していたようです。

この投稿を見たときに、私の夫も過去に人に怒鳴った経験を自慢話として吹聴していたことを思い出しました

私の体験談

夫は、結婚をしてから、過去のモラハラ話を自慢げに語ることがありました。店の店員の態度が悪かったから「怒鳴りつけてやった」話(それも1度や2度ではありません)、弁護士を立てて相手と争った話などでした。

結婚後も、何かあるとすぐにお店にクレームの電話を入れたり、店員を怒鳴るためにわざわざお店に足を運ぶこともありました。

夫は他人に対して怒鳴ること、店にクレームをいうことは正当な権利であると思っており、自分を守るためには積極的に抗議・主張をしないといけないと考えていました。そしてそのことで何かしらの利益を得たときには、自慢話として吹聴していました

加害者側は悪いと思うどころか、自分がいかに人より立場が偉いかを誇示できた成功体験だと思っているのです。

被害者側がいくら「あなたのやっていることは人を傷つける行為」だと主張しても分かってもらえないのは、そもそもDVやモラハラに対しての意識が異なるからでしょう。

幼いころからその環境にいることで、DVやモラハラはむしろ「普通」で「当たり前」のことだというゆがんだ認識が芽生えてしまいます。

ましてや、DVやモラハラで何らかの利益を得た場合には、自分の行動(モラハラ)が良い結果を導いたかのように認識していました。

DVもモラハラも加害者側と被害者側の意識は全く違う可能性があります。

世間から見れば非難される認識はあった夫

しかし、結婚するまではこういうことを私に伝えなかったということは、世間から見ればそれがいかに非難されることであるかという認識はあったのでしょう。

おそらく成長過程のどこかで周りの人たちの反応から、「こういう話はしないほうがいい」と学ぶ機会があったのだと思います。ですが、モラハラ話を自慢しないほうが良いことには気づきながらも、モラハラ行為自体を改善しようと思うには至らなかったのでしょう。

自己愛性パーソナリティ障害(モラハラ)が孤立感、孤独感を抱えながらも治すことが難しいのは、孤立する理由は「世間が間違っている」「自分が正しいのに誰も理解してくれない」と思っており、自分の方が間違っているということは微塵も思わないからです。

社会と自分との違いを感じ、またそれが生きづらさとなり本人を苦しめることになっても、価値観を修正することは非常に難しいのです。

モラハラはモラハラ加害者にとっては正当化された行為である。

まとめ

私が夫と居て感じたことは、夫はむしろモラハラをする相手の方が自分の気持ちをよく分かってくれると思っていたことです。

義両親に店員を怒鳴ったことを伝えると、義両親は夫を「お前、よくやった」と褒めていました。

モラハラ加害者にとっては、モラハラは賞賛されるべき行いであり、賞賛してくれる相手は理解者となります。

モラハラを治すときに、モラハラ環境(モラハラ親)と決別することは必要不可欠です。モラハラを肯定してくれる環境にいたらいつまでたってもモラハラを治すことはできません。

DVやモラハラ夫にとって人を攻撃した体験談はステータスである

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次
閉じる