温厚で慕われている人が虐待をする、ギャップはなぜ起こるのか?

温厚で慕われている人が虐待をする、ギャップはなぜ起こるのか?

モラハラやDVは、感情がコントロールできなくなって止めることができない可哀そうな病気ではないと私は考えています。なぜなら、加害者は明らかに「時と場所、相手」を選んで加害行為をしているからです。つまり時と場合や相手を選ぶ理性さ、加害行為を行っても決して自分の不利にならないという損得判断をしたうえでモラハラ、DV、虐待を行っているわけです。

千葉県野田市で起きた小4少女虐待死事件の加害者である父親も、家庭内ではひどい虐待を繰り返し、学校や市教委、児相では恫喝をしていたのにもかかわらず、職場では「温厚で虐待など想像もできない人物」だったそうです。

以下、Yahooニュースより引用。

「非常に温厚で穏やかでコミュニケーション能力もあり、慕われていました。

どんな人にも正しい敬語を使って、自己主張もしないし、人と意見がぶつかることもなく、

みんなから頼られていました。彼を悪く言う人はいません」

職場での父親への評価は高く、それは家庭内の鬼のような振る舞いと真逆です。父親は、職場では鬼の姿を出すことなく過ごすことができていたわけです。感情がコントロールできずに怒鳴ってしまうのであれば、こういった使い分けができるハズはありません。どう見ても、自分の意志でコントロールして虐待を行っていたと言わざるを得ません。

目次

DV・モラハラ加害者のギャップは大きすぎる

人は誰しも、相手によって態度を変化させ、自分の中にある複数のキャラクターを時と場合によって使い分けることができます。

たとえば、年下の友人のグループ内ではなんでも相談に乗る姉御肌キャラになる一方、幼馴染の前では、飾らない少年のようなキャラクターになるといったことは誰しも起こり得ます。また、職場では部下に叱咤する怖い上司が、家の中では奥さんの尻に敷かれていたということもあります。このように、時と場合によって人は自分のキャラクターを変化させることはごく自然に行われることです。

しかし、DV・モラハラ加害者のキャラクターのギャップは普通の人のギャップと比べてあまりにも違いすぎます

普段の自分の延長ではなく、紙の表と裏のように真逆の性質を持ったキャラクターに変化するのにはそうならざるを得なかった理由があるのではないでしょうか。

激しい二面性を持つ原因は「抑圧された自己」

こうした大きなギャップのあるキャラクターを持つ原因となるのは、本来あるがままの自分を否定され、出してはいけないと抑圧されたことにより引き起こされると考えられます。

抑圧された自己はそのまま抑えられるのではなく、いずれどこかで反発するときがやってきます。それはバネに力を加えたときの反発とよく似ています。

バネを力いっぱい抑えたときに、手を離すと反動で大きく跳ね上がります。少しだけの力で押さえたときは反動はわずかですが、力をかければかけるほどバネは縮み、その分跳ね上がる力も大きくなります。跳ね上がる力はまさにキャラクターのギャップの大きさを表しているといえます。

大きく抑圧されればされるほど、表と裏のような激しい二面性を持った自己が作り上げられるのだと考えられます。

ここでもう一度、千葉県野田市で起きた小4少女虐待死事件の加害者である父親の職場での印象を見てみましょう。

そこには、「自己主張をしない」「人とぶつかることがない」という言葉が出てくることに気づきます。

誰とでも仲良く温厚に付き合っていたのは、自分を押し殺し相手の言い分通りにふるまうことで人との衝突を避けていたとも読み取れます。

ここに押し殺された自己があったことがうかがい知れるのです。

私の夫も、職場で上司に対して「自分の言いたいことはとても言えない」と言っていました。その時の押し殺した自己は鬱憤となり反発した結果、家庭内でのモラハラに繋がっていたのでしょう。

あるDV被害者の告白「殺されないと事件にならないと言われて…」 – 現代ビジネス)の記事には、

母親の「子連れ再婚」にはDVの危険性が高いと言われる。

(中略)

こうしたカップルの場合、男性側は社会で抑圧されているケースが往々にしてある。自分より弱い立場の人を寄せるのである。

という文章が出てきます。「離婚後300日問題」の相談を受けている中で筆者が肌で感じたことだそうです。

自己を押し殺す圧力は社会からかかる場合もありますが、自分自身で抑圧してしまう場合もあります。今回の事件や元夫はまさにこのタイプではないかと考えています。

なぜ自分で自分を押し殺してしまうのか?

自分の感情を押し殺すとき、それは「人との衝突を避ける」ときです。

そして、多くの場合は「人との衝突を避けたほうが自分にとって有利だ(もしくは人と衝突することが不利になる)」からです。

しかし、自分の有利、不利に関わらず自分を押し殺してしまう人もいます。それは本人も無意識のうちに「自己主張をしてはならない」と思い込んでいる場合です。

「周りの言うことをよく聞き、自己主張をせずに周りに同調し、人間関係で荒波を立ててはいけない」と考えている場合、本当は相手と意見が違ったり、自分が正しいと思っている時でさえも、自分を押し殺し相手の意見を受け入れなくてはいけません

特に、相手が間違っていて自分が正しいと思いながらも相手の意見に従わなくてはいけない場合、「間違っていることをするよう強要されている」ように思うでしょう。これはとても大きなストレスです。

職場の上司が恐ろしい人で、とても言い返すことができない場合もあります。私は、夫に「上司が人の話を聞かないタイプであれば、話をする相手を変えて、先輩や同期に相談したら良いのでは」と思っていました。私が夫の立場だったらそうしたからです。しかし夫は先輩や同期にも自己主張することができなかったのではないかと思います。

傍から見れば「出来る」ことが「出来ない」のは、本人が自分で自分の行動を制限しているからです。

しかし、本人は無意識化で行動を制限しているためそのことに気づくことができません。

夫も、人に自分の意見を言うことができない原因は無意識化で自己主張をしてはいけないと思い込んでいたからでしょう。そしてそれは、本人の自由意志では変えられないほどの強い呪縛でもあるのです。

一見して、人との関係が円滑で「いい人」にみえる人が突如変貌し、真逆の姿になる。

私も夫に出会ったときに「決して怒ることがなく、気の長い温厚な人」だと思っていました。しかしその姿は、強い力で自己を押し殺した結果の姿であり、あるがままの姿ではありませんでした。

まとめ

自己を抑え込む強い力は外からの力だけではありません。無意識化の自分の中からの力です。

そのため、環境を変えたところで抑え込む力がなくなることはありません。職場を変える、パートナーを変える、仕事を変えるなどしても解決にはつながらないのです。

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