モラハラ親は子どもに自己否定感を植え付けます。そして、出来損ないにならないためには親の言うことをよく聞くのだと洗脳し、親の望んだ振る舞いをするようにコントロールして育てていきます。子どもはありのままの自分を認めてもらうことができず強い自己否定感を抱えますが、幼少期の自己否定感は生涯にわたって影響を及ぼすことが少なくありません。
自己愛性パーソナリティ障害であるモラハラも、尊大で自信家に見えるその心の内には誰よりも強い劣等感や自己否定感を抱えているそうです。そして、その自己否定感の裏返しがモラハラ行為として出てくるのです。
多くの場合、モラハラ環境で育った子どもが、モラハラを完治させることは非常に難しいと考えられます。たとえ改善ができたとしても、調子が悪かったりストレスがかかる状況では再びモラハラが出てくることもあります。大人になってからも持病のようにモラハラを出さないよう戦いながら生きていくしかないのです。
しかし、なぜ幼少期の否定感がこれほどまでの大きな影響を及ぼすのでしょうか。
私なりに考察した結果をまとめました。
子どもが自己否定感を抱えやすいワケ
世の中のものというのは、大人が使いやすいようにできています。あらゆるボタンの位置、扉の重さ、ペットボトルのフタの硬さなど。大人は自分たちの都合のいいようにできているので、それを不便に感じることはありません。しかし背が低かったり、力が弱い子どもにとっては「できない」ことが多い環境でもあります。そのため子どもは、必ず大人の助けを借りなければいけません。
そもそも、子どもは大人よりも力が弱く、体も小さく、経験値も少ないため適切な対処ができません。
子ども時代は、「学び」や「練習」や「成長」の時期であり、
この時期にあらゆることができないことは当たり前のことなのです。
このとき、モラハラ親はこの子どもが「大人よりもできない」ことを利用し、「お前はこんなこともできないのか!」と叱責することで、子どもが自己否定感を抱くように仕向けていくのです。
子どもが自己否定感を抱えてしまうのは、それが「本当にできない」からです。
そして、本当であれば「出来なくても許される」「失敗して学ぶ」ことが子どもにとって必要な環境ですが、モラハラ環境では、「大人と同等にできないことは、無能で無価値な人間である」ことにされてしまいます。
非力で大人に頼らなくては生きていけないのはすべての子どもに当てはまりますが、親(や周囲の人)がこれを責めなければ子どもが劣等感を感じることはありません。
一般的な家庭では、親からの保護を受けていても劣等感を抱えることなく成長していきます。
しかし、モラハラ親は子どもの弱点であると知っているため、必ず子どもの非力さをあげつらいます。
大人のようにはできない子どもは、モラハラ親が指摘した「なにも出来ない自分」というレッテルをはねのけることができません。
「親の思い通りにふるまえば認めてもらえる」が及ぼす悪影響
そして、自己否定感を植え付けた後にやることは、子どもを褒めるのです。単に否定するだけでは反感を買い、いずれは反発する子どもに成長します。
モラハラ親の目的は子どもの人生をもコントロールすることですので、これではその目的を達成することができません。
そこで、飴と鞭を使い分け、時には褒めることで、子どもを意のままに操ります。
子どもにとって、一度蹴落とされた自分が褒められるということはカタルシスのような強い高揚感をもたらすでしょう。
このときに、子どもは普段は否定されているということがポイントです。
日常的に親から尊重されている子どもは、たとえ不適切な褒められ方をされたとしても、その1回がそれほど特別な影響を及ぼしません。
一方、普段は認められていない子どもは、「親に認められたい」という強い承認願望があるため、親から褒められたことは特別なこととして記憶されます。
それは、普段から街中で暮らしている人は街の明かりを特別に思わないけれど、長いこと山をさまよった旅行者はやっと見つけた一軒の灯りにすがる気持ちになるのと似ています。
また何度もこういった経験を繰り返していくうちに、子どもは自分が親の望む通りに行動したときに褒められるという事実関係に気づくでしょう。
子どもは親がどういったときに褒めるのかを学習することで、親が何も言わずとも親の意のままにふるまえるような行動を取ることができるようになります。
この時にはもう、自分というものは存在しておらず、親と同化、共依存の状態にあるのです。
この背景にあるのは、やはり強い自己否定感です。ありのままにふるまっていれば親から認められることはありません。
子どもは、親から否定されるだけでなく、親に認めるために自ら自己否定を重ねていきます。
自分を否定し、捨てさえすれば、褒めてもらえるからです。
多くの子どもは、「親に反抗して否定される自分」よりも「親から褒められる自分」を選択します。
親と同化し、自分を失う子どもたち
子どもというものは、最初から自己が確立しているわけではなく、生まれてすぐは母親と一心同体だと思っているようです。しばらくすると自分が母親と違う存在ということに気づき、「自立したい」という思いを持ちます。そして、反抗期を経て親から離れ自立心を成長させていくのです。
子どもから大人へと成長をしていく過程で、親への反抗は必要不可欠なものであり、
その過程で自分と親が違う人間であることを理解し、
親と違う行動を取ることが許される経験
をしなくてはなりません。
しかし、親にコントロールされ続ける子どもは、「親から自立したい」と思う気持ちが芽生えません。なぜなら親は自分と同化した存在のままだからです。
そして、
大人になっても親から見ればいつまでも子どものまま、
子どもから見ればいつまでも親のまま、
対等な関係になることはありません。
成長をしていい大人になっても、依然として親にコントロールされ続けるのは「自分がないから」です。
これが、自分を失うほどの強い自己否定の環境にさらされ続けた結果なのです。
自分を一から作っていかなくてはいけない
私がモラハラ環境から脱したときに、自己肯定感を取り戻すためにやったことは、自分の好きなものをもう一度好きになって楽しむということでした。
自己否定にさらされても、すでに自分がある状態であれば自分を取り戻せば自己肯定感は回復します。しかし、自分がない人たちは、「自分を取り戻す」ことはできません。自分がどこにもないからです。
幼いころに失ったままの自分を一から築きあげていかなくてはなりません。
さらに悪いことに、成長する過程で「人に合わせる」ことばかり学習してきたため、「自分」の上に「合わせるべき他人」が上書きされています。影響を及ぼしている他人の存在が邪魔となって、「自分」を見つけ出すことが容易ではありません。
そのため、幼いころに「自分」を一から作るときよりも、大人になってから「自分」を作る方が何倍も大変さを極めるでしょう。
「自分」は育むもの
幼いころから作られてきた「自己(=自分)」はそれ自体が拠りどころとなるものです。「自分は自分でいい」という考えは、自分から自分を肯定してもらっている状態です。
自分を肯定してくれる自分。この自分は、元々は誰だったのでしょうか?
それは、赤ちゃんの頃は親、大きくなってくるにつれその範囲が広がり、兄弟や親戚、友人など周りの人たちです。
親や周りの人から「あなたはあなたでいい」という肯定感があって成長してきた自分。
自分が成長すると、今度は成長した自分が自らを肯定する、それが「自己肯定感」の本質です。
つまり、いきなり降ってわいたように「自分は自分でいい」という考え方だけコーティングすれば、自己肯定感が育まれる訳ではありません。
育む=育てるという言葉通り、自己肯定感は成長させていかなくてはいけないものなのです。
それは赤ちゃんが大きくなる時に、親から世話をされなければ育っていかないように、はじめは誰かから与えてもらわなければ育っていかないものでもあるのではないでしょうか。
大きくなってからも自己肯定感を育むことは可能です。しかしそれは、信頼できる人を見つけ、その人から繰り返し肯定されることが必要だと考えられます。
その過程をすっ飛ばして、メッキのように外付けだけすることはできないのです。
まとめ
自分がないことと、自己否定感は表裏一体です。なぜなら「確固たる自己があり、自分が正しい」と思っている人は、相手から言われた言葉で簡単に自己否定に陥ることはないからです。相手と自分の意見が違うときに「相手が正しい」と思うのは、自己が揺らいでいる証拠です。自分がない場合は「常に相手が正しい」ことになり、いつも自己否定をしなくてはいけません。
自己否定感を回復するためには、まず「自己を確立する」ことです。
そのためには、モラハラ親から離れることです。モラハラ親のそばに居続ければ、いつも「親が正しい」と無意識のうちに自己を押し殺さなくてはなりません。
すでに大きくなっている大人が、自分を探すことは容易ではありません。生涯にわたって自分探しを続けなくてはいけない場合もあります。私は、適切な方法を取れば、絶対に自己否定感を払拭できるとは思っていません。育った環境による呪縛は呪いのように根深く、複雑だからです。
長い人生をかけても「自分」が見つからなければ、生きている間に自己否定感を改善することはできないかもしれません。
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