多くの人は、他人が苦しんでいるのを見たらその苦しい気持ちを少しでも和らげてあげたいと思いますし、泣いている気持ちに共感し共に涙を流すこともあります。また喜んでいる姿を見たときは、自分まで嬉しい気持ちになることを経験したことがある人も多いでしょう。
一方で、モラハラをする人は、他人への共感性が低いと言われており、特に人の感情を「共に分かち合う」ことができづらいと考えられます。
なぜ共感性が低いのか、そしてそれゆえにモラハラ加害者の周りで起こるトラブルについて実体験をもとに紹介します。
共感性は相手の立場に立って物事を考えることから始まる
ここで一つの実験の話をしましょう。
4歳の子どもが2人います。
一方のAちゃんは、ジオラマの左側、もう一方のBちゃんはジオラマの右側に立っています。
ジオラマの中央には、大きな山があります。
山の左側には町があります。
Aちゃんは手前の町を見ることができますが、Bちゃんは山が邪魔になって町を見ることができません。
ここで、Aちゃんに「町が見えますか?」と聞くと、「見えます」と答えます。
「では、Bちゃんは町が見えると思いますか?」と聞くと、どうでしょう。「見えると思います」と答えるそうです。
これは、子どものときには、自分が見ている景色と相手が見ている景色が違うということを想像ができないため、自分が見えているものは相手も見えていると思うからだそうです。
Aちゃん「Bちゃん、町が綺麗だね」
Bちゃん「町?町なんて見えないよ。山があるだけだよ。」
Aちゃん「町あるじゃん!山のそばにあるよ!」
自分が見えるからBちゃんも見えるだろうと思い続けていたら、Bちゃんの気持ちを共感することはできません。
Bちゃん「町が見えないよ」
Aちゃん「Bちゃんからは、町が見えないんだね。こっちにおいでよ。ここからだと町が見えるよ。」
このように他人の立場に立って物事を考えられるようになるのは、だいたい4~5歳くらいからだというのが脳科学者の見解です。
私たちは成長と共に、人の立場に立って物事を考える力を身につけていくのです。
モラハラをする人は相手の立場に立って物事を考えることが不得意
モラハラをする人が、相手の気持ちが分からないのは、サイコパスのようにそもそも「感情を理解できない」というよりは、上の例のように相手の立場に立って物事を考えることが難しいからではないかと考えられます。
なぜなら、彼らは自分については、「怒り」「悲しみ」「喜び」を隠さずに出すからです。
一方で、他人の「怒り」「悲しみ」「喜び」については、「俺はそうは思わない」などと言ってあっさりと切り捨てます。他人の感情については知らんぷりです。
しかしこういった共感性の無さは、モラハラをする本人自身にも不利益をもたらすことがあると私は思います。
共感性がないと損をする?元夫の「共感性」の無さがもたらした離婚紛争の結末
私の離婚体験談
離婚は夫から切り出されました。そして夫のその当時の話しぶりから夫の中で離婚後の未来をどのように思い描いていたのかをある程度予測することができました。夫の中ではおそらく、離婚後の生活はこのように想像していたのだと思います。
- 夫が親権者となり、その当時暮らしていたマンションで引き続き子どもたちと暮らす
- 夫の両親(義両親)と同居し、子どもを育ててもらう
- 財産分与は私からお金を払ってもらえる
元夫の思い描いていた離婚後の生活は、実際は正反対のものになりました。
多くの離婚家庭では元々の監護親であった母親に親権が行くことが多いですし、結婚後に購入した財産はいくら夫名義のものでも共有財産として財産分与の対象になります。また、財産分与については、結婚後に夫婦で築いた財産を半分に分けることになるため、別居時点の財産を持っている方が財産を持っていない方に支払う形がとられます。
つまり、世の中の条件に照らし合わせても、法律の観点からもずいぶんと夫にだけ都合のいい未来を描いていたわけです。
離婚調停では、夫から私が子どもを虐待しているという主張がなされて、もしかしたら子どもと暮らせなくなるかもと言う不安をものすごく抱いていました。
弁護士からは、『あなたが親権者になる確率は99.9%です。』と言われていたのにもかかわらず、残りの0.1%の可能性におびえていました。
子どもと暮らせなくなる、子どもの親権が取れなくなることは私にとって一番耐えがたいことでしたから。
未来に対してあらゆるパターンを想定し、少しでも可能性のある悪い未来を選ぶことがないようにその時にできることを精いっぱいするしかありません。私は、モラハラを受けながらも責任を持って育児をしてきてよかったとこの時も今も思っています。
反対に夫はなぜ安易に親権者は自分だと想定できたのでしょうか。
人の気持ちが分からないことで未来への予測を間違う
夫が、私が親権も財産も譲ると考えていた背景には、上の実験のように『相手の気持ちに立って物事を考える』ことができず、自分が見た風景しか想定できなかったからではないかと考えます。
夫は自分が見た自分にとって都合のいい未来のみを考えて、私の気持ちを考えることがありませんでした。だから、私がどのような行動を取って、どのような主張をするのか分からなかったのだと思います。
結果的には夫が想定した未来は一つも叶うことはありませんでした。
自ら離婚を切り出した夫は離婚準備をする期間がありました。その間に自分が親権者になれるように用意周到に準備をすることもできたはずです。そうなれば、私にとっては後の祭り。子どもも財産も手にすることはできなかった、そういう未来もありえたでしょう。
私にとっては、夫の共感性のなさは救いとなりました。
モラハラをする人の中には、相手の立場に立って物事を考えることができないために、「自分がするであろう行動」を相手がする行動だと置き換えることがあります。
たとえば、離婚を切り出した原因を「実は浮気をしているからではないか」と思うのは、自分が離婚をするときには浮気が原因であると考えているからだと思われます。
まとめ
私の個人的な意見ですが、モラハラ被害者の方は共感性が高い方が多く、「この言葉を言うとモラハラ夫がどういう態度を取るか」がよく分かるばっかりに、それを避けて相手の言いなりになってしまうケースが多いと考えられます。しかし、こういった未来予測は、自分が望む未来に対して適切な行動をとることができる能力でもあり、その結果、離婚紛争などではいい方向に物事が進んでいくのではないかと思うのです。
元夫は親権を取るにはもう虐待をでっちあげるしかなかったようです。そうして、嘘の書面が調停の場に提出されました。
それが共感性のない夫が思いついた唯一の策だったのかもしれません。
モラハラ被害者の方がこの先にどういう選択をするのかはそれぞれだと思いますが、ご自身の能力を信じて、希望する未来を掴んでほしいと切に願います。
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