亡くなった方を生き返らせることはできません。もう二度と話をすることができません。後悔のない看取りができず、急に亡くなったため、死に目にも会えませんでした。
私は、亡くなった肉親に対して今どういう気持ちなのかをまとめました。
1.もっと話をしておけばよかった
亡くなった肉親は、いままでにも大病もなく、持病もなく過ごしていたので、いつまでも健康でありいつでも会える存在であると思っていました。しかし今年の春から徐々に体調が良くなくなっていたようです。亡くなった肉親が入院する前に、「どうしても会いたいから」と電話を受けて会う約束をしていました。私自身も、春から会っていなかったので久々に会えることを楽しみにしていました。しかしその日はたまたま台風が来るということで延期。そして延期した日を待たずに入院し、二度と退院することはありませんでした。
私は、今でもあの日に会わなかったことをとても後悔しています。結局、春から次に会えたのは病院のベッドの上でした。その時にも私は暢気に「会う約束は退院してから」と思っていました。
その日は来ませんでした。
私にとって肉親の死はある日突然やってきたという印象です。絶対に退院して約束を果たせる日がくると思っていましたし、様子を見に行ったときに違和感があっても「きっと薬のせいだ」と思って「ちょっと体調が悪いだけでまたいつもの状態に戻る」ということを疑いもしませんでした。医者からも入院した当初、一週間後には退院できると言われていたことも関係していると思います。
そして「また話せる」「いつでも話せる」と現在の関係が変わることなく普遍的に続いていくという思い込みがあったのでしょう。たとえ年をとっても、年齢的には平均寿命を超えていたとしても、変わらずに続いていくものであると。
亡くなってしまったあとではもう話をすることができません。亡くなるまでに何度も病室に足を運びましたが、それでも家などの落ち着く場所でゆっくりと話をしたかったと思います。
2.死と向き合う時間が欲しかった
そして何よりも急変し亡くなってしまったことで、私だけでなく親族や本人自身も死について向き合う時間がほとんどありませんでした。
死を受け入れるプロセスについて、どういった心の変化をたどるのかは研究されよく知られています。
そして事故や災害などで急に大切な人を亡くしてしまった場合はストレスや影響はより大きくなると言われています。
病気の場合でも、突然なくなる場合は死を受け入れがたく、変化を受け入れることが容易にできません。
3.残りの人生の質を高めてあげたかった
最期にやり残したことがなかったのか、急に亡くなってしまったのでわかりません。もしかしたらやり残したことがあったとしてもどうすることもできずに亡くなっていったのかもしれません。
ドラマなどでは死にゆく人は最後まで頭がしっかりとして話ができたりしますが、肉親の場合は最期の10日ほどは危篤状態であり、ほとんど意識がありませんでした。意識があってから危篤に至るまでが早く、そのあとは全く話ができませんでした。
死ぬ前に意識が戻って話ができるということもありませんでした。
たとえば最期はどこで過ごしたいとか、何をしたいのかとか、何が食べたいのかとか、どういった気持ちで寄り添ってもらいたいのかなどをしっかりと話し合うことができなかったことが何よりも心残りです。
「死」が間近なことを事前に知れたらよかった、そして最期の時を本人の希望が叶うようにしてあげたかったと思います。
4.亡くなってからも話がしたかった
よく「亡くなる人が最期に会いに来てくれた」「夢で姿を見ることができた」という話を聞きますが、私の場合はそんな奇跡のようなことは起こりませんでした。「会いたい」「会いに来てほしい」という気持ちは叶うことなく、今も夢の中で姿を見ることはありません。親族の誰もが夢や何らかの姿でも会うことはありませんでした。そんな奇跡が起こった人たちのことがうらやましくて仕方がありません。
ドラマチックで心霊的な奇跡というのは必ず起こりうるものではなく、ある日突然、無情に別れがくるのが多くの場合の現実です。
親族間では「きっと思い残すものもなかったのだろう」という話をしていますが、そうであってほしいと願うばかりです。
まとめ
死は突然でした。遺書もなく本人も死を想定していなかったのでしょう。
夢に出てこないのはもしかしたら死んだことに気づいていないのかもしれません。
天国で本人が死んだことにも気づかずにいつも通りに元気に過ごしているのであれば救われる気持ちです。
追記:その後のエピソードです↓
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