亡くなった肉親が会いに来てくれた?不思議な四十九日の体験談

亡くなった肉親が会いに来てくれた?私のふしぎな体験談

先日、大切な肉親を亡くしました。

夢で会えると言った奇跡も起きず、もっと話をしたかったと後悔が心に鉛のようにたまっていました。

しかし、先日奇跡のような出来事が起こったのです。

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四十九日まで魂は現世に留まる

人は死んだら「無」になるのでしょうか。

仏教では、人が亡くなったあと六道のいずれかの世界に生まれ変わるといわれています。そして、7日ごとに7回の審判が行われ、どこに転生するのかが決定されると言われています。

四十九日は、最後の審判。魂の行き先が決まる日です。それまでは、現世にとどまり、「自分の行く先を待つ」わけですね。

そのため四十九日付近までは、現世にとどまった故人の存在を感じられる出来事があったり、不思議な体験をしたことがある人も多いようです。

「四十九日」不思議な体験談 ~私の場合~

子どもが肉親の名前を呼びながら天井を指さしていた

私の子どもはまだ小さく、「人の死」を理解することができる年齢ではありません。葬儀のときもニコニコと笑いながら別れ花を棺に入れていました。おそらく大きくなったときに、亡くなった肉親のことを覚えてはいないでしょう。そのくらいの年齢です。

そして先日のこと。

子どもたちと家の中で遊んでいると、突然子どもの1人が「〇〇ちゃん(肉親の名前) あそこにいるね」と言って、天井の四隅の内の1つを指しました。そしてニコニコと手を振り始めたのです。もちろん、私の目には天井以外、何も見えていません。

子どもはまだ、嘘をつけるような年齢でもありませんし、その前後に肉親の話もしていませんでした。突然、肉親の名前が出てきたことにビックリしました。

「〇〇ちゃん、あそこにいるの?」と私は子どもに聞きました。子どもは答えることはありませんでしたが、それでも天井を見ながら指をさしています。

カレンダーを見て日数を数えてみると、49日の少し前でした。

小さい子には、霊が見えるといった話を聞いたことがあります。もしかしたら、年齢の小さい子どもにだけ肉親が見えたのかもしれません。

肉親は、辛抱強く、人に弱みを見せるのが嫌いな人でした。病院にお見舞いに行ったときの最後の会話は、「大丈夫だから、もう何も心配いらないから、だからもう来なくていい」と言われました。「会いたいから会いに来ているんだよ」と私は答えたのですが、その会話を最後に、呼びかけに応じることはなくなりました。最期にもっといろんな話をしたかった、亡くなってからずっとその想いは変わらずにいます。

この世を旅立つ最後に、肉親の方から「会いたいから会いに来てくれた」のならこんなにうれしいことはありません。私には見えることはできなかったけれど、子どもたちがそれを伝えてくれたから気づくことができたこと。もしかしているのかもしれないと、私も手を振りました。最期にきちんとできなかったお別れができたのだとしたら少しだけ救われる思いです。

四十九日の不思議体験は他にも多くある!

四十九日までの不思議体験は、少しネットで検索してみるだけで、

「四十九日まで、故人が毎日夢枕にたった」

「うつ伏せで寝ていると、背中をさするような感触があり、目を覚ましたらちょうど起きる時間だった。故人が起こしてくれたのかも?」

「寝室の扉が勝手に開いて、そこにいるような気配がした」

などいろいろな体験談を見つけることができます。

私自身も自分の体験から、魂はあるのではないか、故人が会いに来てくれたのではないか、と思っています。

もしいたとしてもキャッチできるわけではない

私の場合、子どもがいなければ、子どもがこの時に寝ていたならば、このような不思議体験はできなかったかもしれません。もし、故人がそこにいて、あなたを見守っていてくれていたとしても、かならずその存在や信号をキャッチできるわけではありません。

不思議体験がなかったとしても、故人が会いに来てくれなかった、絆が薄かったわけではありません。

見えない、感じれないだけで、見守ってくれているのではないでしょうか。

故人を想う気持ちは、必ず届いているでしょう。

まとめ

49日を迎え、天国に行く前に最後に会いに来てくれたのかもしれません。

霊感のない私には、本当に幽霊がいるのかどうかは分かりません。でも、いたとしたらいいなと思います。

最期の最後には挨拶に来るところが肉親らしいな、と思えるそんな出来事でした。

亡くなった肉親が会いに来てくれた?私のふしぎな体験談

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