愛着障害は、子どもの幼少期に親と適切なアタッチメント(愛着)が形成されなかったことにより引き起こされます。
しかし、親が子どもに笑いかけたり、子どもをよく抱っこしていたとしても、愛着障害が引き起こされることもあります。
それは、不仲な両親によって育てられた場合です。
家庭は子どもにとって「安心できる居場所」でなくてはならない
赤ちゃんや子どもにとって最も安全で最も安心できる場所はどこでしょうか?それは、お母さんのそばです。お母さんのそばにいれば赤ちゃんや子どもは安心して過ごすことができることを知っています。
不仲な両親に育てられた場合を考えてみます。赤ちゃんの目の前で、夫婦げんかが始まったとしましょう。
このとき赤ちゃんは優しい母親が突如として大声で怒鳴り始める場面を見なくてはなりません。お母さんのそばにいれば安心で安全だったはずなのに、お母さんそのものが怖い存在に変わってしまう。それは、赤ちゃんにとってどれほど怖くてつらい体験でしょうか。
まだ言葉がよく分からない赤ちゃんは、喧嘩の原因がなんであるとか、どちらが悪いとかそういうことまでは分かりません。ただ、自分が安心できる居場所がなくなってしまったことは分かります。
母親の恐怖はそのまま赤ちゃんの恐怖になりますし、怒鳴っている母親そのものが恐怖の対象です。そして一番安心できる対象が恐怖の存在になってしまうことがダメージを大きくしてしまうのです。
たとえば、キャンプに出かけた先で大きな虫を見ることと、家の中で大きな虫を見ることは同じ虫であったとしても後者の方がより恐怖を感じることが分かると思います。人は安心できる場所が脅かされることにより恐怖を感じるのです。
そして、怒鳴っている父親も恐怖の対象です。
赤ちゃんは強い恐怖にさらされているのに、誰も慰めてくれません。
赤ちゃんにとって安心できるはずの母親のそばであったり、家の中であったり、家庭で強い恐怖を感じることが起きる。
そういうことが頻繁に繰り返されたらどうなるでしょうか?
赤ちゃんは、自分が安心できる場所は世界のどこにもないと学んでいってしまうのです。
赤ちゃんにとって、世界とは、いつ何時恐れていたことが起こるかもしれない緊張に満ちたものになります。
子どもが少し大きくなってくると、両親のケンカを止めようとする行動を取るようになります。
喧嘩をする両親の仲裁をする子どもたちは、両親が怒りを感じないように親の機嫌を伺いながら立ち回るようになります。たとえば、親の愚痴をよく聞いて慰めたり、親が喜んだり褒めてくれることばかりをやります。子どもは親が不機嫌にならず、家庭の中で争いごとが出ないように必死で頑張るのです。そうしなければ、自分の居場所を失うと思っているからです。
子どもであれば年相応のわがままを言ったり、大人の言うことを聞かずに無茶をすることもあります。しかし、仲裁役の子どもは子どもっぽい自分を出す機会がありません。子どもである自分を押し殺し、その姿は小さな大人のように見えます。
これは、親の愛情が条件付きであり、親の理想である自分しか認められなかった場合と同じように、本来の自分を否認する行為です。(自己否定)この場合は、否認するのは親ではなく、子ども自身です。
安心できる居場所を確保するためには、自分を出してはいけないと学ぶことになります。
まとめ
赤ちゃんは、恐ろしいことが起こったとしても、自分の力でそれを回避したり解決することができません。そのため、ただその恐ろしさにさらされるしかありません。
子どもになれば、問題を解決する力は多少は身についてきますが、まだ力が弱い子どもは自己主張することではなくまわりに合わせることで問題解決につなげようとします。
こうして育ってきた子どもは、「人と居ると疲れる」「家庭にも学校にも自分の居場所がない」「人が怖い」「信頼できない」ようになり、人と居ても世界で一人ぼっちのように感じています。
そして大人になってからもさまざまな障害を引き起こすようになってしまうのです。
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