モラハラ加害者は、自分に非があることも他人に責任転嫁し、自分を正当化します。この不思議な心の動きがなぜ起こるのか、そばにいる私はその仕組みを垣間見る時がありました。実際の体験をもとに、解説します。
私のモラハラ体験談~叱られた時は、叱った上司に非があると考えていた夫~
あるとき夫が、職場の上司から叱られたとショックを受けて帰ってきたことがありました。夫の話をまとめると、夫の後輩やお客様に対する傲慢な態度が上司の目について、どうやら態度を改めるように言われたらしいのです。夫はひどく憔悴しており、おそらくきつく叱られたのであろうと想像できました。
私は、「叱られたのはショックだけれど、今回のことは自分をよくするチャンスだと思って上司の言葉を真摯に受け止めて改善していくように頑張ろう!」と励ます気持ちで言いました。
すると夫は「俺が欲しかった言葉と違う。お前に話したことを後悔した。もうこの話はしたくない。」といって部屋に閉じこもってしまいました。
私は「励ますよりもショックな気持ちの方をくみ取って声をかけてあげればよかったかな」と反省しました。
後日、夫は義実家で上の話をしていました。その話を聞いた義母は、
「その上司の人は、いままで部下や後輩にそういった態度を取ったことは一度もないのかい?」
と聞きました。夫は
「たぶん、そういった態度を取ったこともあったんじゃないかな」
と答えていました。
すると、義母は
「それなら、お前にそんな風に注意する資格などないじゃないか!それを言っていいのは、一度も他人にそういう態度を取ったことがない人だけだ!」
「そんな上司の言うことは聞かなくていい!」
と言い出したのです。
「それに部下に注意するときは高圧的な物言いになるものだ。そんなみんながやっていることを、お前だけが怒られるのはおかしい。その上司はお前に対するあたりがきついんじゃないのか。だからお前ばかり注意するんだ!お前のことを普段から悪く受け取っていたに違いない!」
そして義実家全員で夫のことをかばい、「夫は可哀そう」「夫は悪くない」と結論付けたのです。そしてその言葉をもらった夫はニッコリと笑ってとても満足そうにしていました。
このとき私は、夫が「俺の欲しかった言葉と違う。」といった意味がようやく分かったのです。
夫が会社での叱責を私に話したのは、
こんな風に注意をされた自分がいかに可哀そうで、
自分を注意した上司がいかにひどい人間かを伝えたかったのだと思います。
そして、義実家が言ったように、全面的に夫の味方をし、
「夫は悪くない!上司が悪い!」と結論付けてほしかったのでしょう。
夫は、義実家の反応を聞いて、言葉には出してはいませんでしたが、「やっぱりそうだよな」と当然の反応のように受け止めていました。
モラハラ夫がいくら話をしても反省しない理由
この一件から、夫にいくら話をしようとしても反省するどころか私に責任転嫁し、結局は私が悪いと結論付けられる原因が分かってきました。
夫は、自分に非があることを責められた時でも
「(相手は)俺の非を責めることができるほどできた人間なのか?」
「俺よりもお前の方がダメな人間じゃないか」
「そもそもみんなやっているし、自分だけ怒られるのはおかしい」
という意識が働き、相手が何を言っていたとしても、その言葉を受け入れることができないということです。
ここでも夫の中では、出来事に対する絶対評価ではなく、他人と自分を比べたときの相対評価しかないのだと分かります。もちろんその相対評価すらも、夫の中での格付けであり現実のものとは違います。
そして、たとえ上司からの叱責であったとしても、表向きはシュンとして話を聞いているように装い、
心の内では相手を罵倒し、
その言葉を受け止める気はない
のだということです。
言ってきた相手が清廉潔白な人間ではないからとか、相手だって何かの欠点があるのだからと言って関係ないことをあげつらい、自分を正当化するのです。
義実家から「上司の言うことは聞く必要がない!お前は悪くない!」と言われ、自信を取り戻した夫は、結局のところ後輩やお客様に対する態度を改めたそうです。
しかし、その理由は自分の悪い点を反省したからではなく、義実家から正当性を認められて満足した夫が、「本当は間違っている上司の言うことも聞く大人な自分」を(本人の中では)譲歩して行うことにしたからです。
改善されるように見えたとしても、それは真の改善ではない
もし、上の立場の人からの叱責でモラハラ加害者の態度が改善されたことがあったとしても、それはその内容を理解しているからではなく、そうしておくほうがのちの自分にとって都合がいいからでしょう。
自分をよくするために改善をするのではなく、自分が得をするために改善をするのです。
この場合であれば、上司との関係を良くして上司から認められる方が仕事もやりやすくなるでしょうし、のちの出世にも関わってくるかもしれません。さらに、(本人の中では)上司の言うことを聞く真面目で素直な自分をアピールできます。
自分に悪い点があったことを認め、気づいて改善しているわけではないのです。
モラハラ夫がモラハラを改善できないワケ
失敗は、良い見方をすれば自分を振り返り、より良くしていくためのチャンスでもあります。また、人から指摘されることは、自分では気づかなかった自分自身の欠点です。
指摘した側に悪意がなければ、「改善をしてほしいし、改善をしてくれるであろう」と言う気持ちで指摘をしてくれています。
それを受け入れて、さらにいい自分になる努力をすれば、自分にとってこれほど成長できる機会はないでしょう。
しかし、指摘を単なる批判と捉え、批判してきた相手を貶める人は残念ながら、そのチャンスをみすみすと逃してしまっているのです。
夫が今までもモラハラを改善する機会がありながら(上司からの叱責もその一つです)改善に至らないのは、こういったチャンスのときですら自分を省みて反省することができないからなのでしょう。
そして、職場でストレスをため込むことになる
また、こういった考え方は自分の心を安定して保つどころか、かえってストレスをため込む原因になると私は考えます。
たとえば、上司から叱責された原因が自分の方にあり今後は改善しておこうと思える人と、
理不尽なことで叱られ職場で不当な扱いを上司から受けていると捉える人とでは
どちらがストレスを抱えやすいか一目瞭然ですよね。
正当な理由で叱られるより、理不尽に怒られる方が怒りを感じますし、自分ばかりが怒られ不当な扱いを受けていると思えば、みじめな自分を作り出し、自己肯定感を下げることにつながります。
夫は、職場で尊敬できる人は誰もいない、ああいう人たちのようになりたくないと常日頃から言っていました。
尊敬できる人と一緒に仕事をするということは、そばで働くだけで学ぶことがたくさんありますし、楽しく前向きに仕事をすることができます。一方、ああいう人たちにはなりたくないと毎日思い続けながら通う職場では、人から学ぼうとする意識は芽生えませんし、その空間にいるだけでもストレスでしょう。
人を悪くとらえる人の方が、ストレスを増やし、生きづらさを抱えることになるのです。
まとめ
DVやモラハラ加害者を長年カウンセリングしてきた専門家が言うには、加害者はみな共通して「ネガティブ」だそうです。
起こった出来事に対してポジティブに受け取っていたのであれば、いい方向に向かおうと努力できますし、力は自分を改善するために使われます。
一方、「上司から嫌われている」とか「不当な扱いを受けている」「あの人のことは尊敬できない」という考え方があれば、力は自分を改善するために使うのではなく、人を攻撃する方向に向いてしまいます。その攻撃性がDVやモラハラとなって表れるのです。
こういったネガティブの根本にあるのは、やはり幼いころから刷り込まれた自己否定感なのでしょう。
言葉はこのネガティブフィルタに蝕まれ、こちらが意図したものとは違った意味に変換されてしまいます。どんなに想いやった言葉でも残念ながら、加害者には届きません。
周囲の人は、話し合いの努力が実を結ばないことを知っておかなくてはいけません。
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