モラハラは中毒性がありエスカレートしていく 加害者の信じられない心理

モラハラは中毒性がありエスカレートしていく 加害者の信じられない心理

虐待や暴力、DV、モラハラは必ず加速していきます。最初は何とか我慢できていたことも次第に心身に大きなダメージを与えることになります。

なぜこういった虐待行為は次第にエスカレートしてしまうのでしょうか?

目次

虐待には中毒性があるから

新・情報7daysでは、家族問題カウンセラーの山脇氏が次のように述べていました。

「虐待をしているのになぜ、子どもを取り戻そうとするのですか?」

山脇氏「虐待ができなくなるのが嫌なんですよ」

「虐待に対してとても依存性が高い」「中毒性が高い」

「自分が支配のトップにいることの中毒性が高かったので 虐待する親というのは非常に子どもへの執着が激しいです」

これが本当だとすれば、虐待親は「虐待をするために子どもを手元に戻そうとしている」わけであり、「子どもと再び暮らし始めれば必ず虐待を繰り返す」ということです。

そして、虐待をしているときには、自分が家庭という組織のトップに君臨し、支配欲(=快楽)を満たすことができるため、繰り返し虐待をしてしまうということのようです。

快楽は、刺激を受け続けることで麻痺し、次第に鈍感になっていきます。薬物依存やアルコール依存でも使い続けると同じ量ではきかなくなり、だんだんと量や頻度が高くなることが知られています。

虐待も中毒性があるとすれば、だんだんと同じ虐待内容では満足できずにエスカレートし、いずれは命を脅かすものへと発展していってしまう可能性は非常に高いと言えます。

虐待をすることで支配欲、所有欲などを満たし、次第に虐待をすれば快楽を感じるようになっていくそうです。最初は小突くだけであったような些細な暴力がいずれは大けがを招くほどの激しい暴力へと変わっていきます。モラハラも同じように加速していきます。その背景にあるのは、「快楽を感じるためにより強い刺激を求めるようになるため」だと考えられます。

そして、私はこの虐待行為による快楽ともう一つ虐待を加速する原因となるものがあると考えています。

虐待発覚への強い恐怖があるから

虐待親の中には、虐待が発覚しても平然と「そんなことをしていない」「覚えていない」と嘘をつく人がいます。この人たちに共通するのは、虐待へのストッパー(罪悪感)がないことです。(詳しくはこちらの記事をご覧ください。)

しかし、虐待自体が悪いことであるという認識はあり、虐待行為がバレれば、自分が何らかの罰を受けることもよく分かっています。

そこで、虐待が発覚しないように細心の注意を払いながら虐待をします。

たとえば、

  • 自分と被害者が二人きり
  • 家の中などの密室
  • 服の上からアザが見えない場所を殴ったり蹴ったりする

といったことは明らかに虐待を隠そうとする心理から来る行動です。

もし疑いの目を向けられたとしたら「自分はやっていない」もしくは「しつけだった」というスタンスを貫き通します。

ストッパーのない加害者たちは

虐待はしたいが、虐待をしたことはバレたくない

と考えているのです。

しかし、虐待は被害者本人が訴えたらすぐに発覚してしまいます。そのために、虐待を訴えないように精神的にも支配をするのです。

つまり虐待発覚への恐怖は、被害者への支配を強くすることで被害者が他人に被害を訴えられないようにする力へと変わっていくのです。

虐待がバレたことへの逆恨み

ここでもし、虐待が発覚してしまったらどうなるでしょうか。

もし虐待をしてしまった人が、罪悪感があるけれども心身の状態や経済状況などから自分で自分をコントロールできずに虐待をしていた場合(ストッパーのある人)、「虐待が発覚したことで、もう我が子が被害に遭わずに済む」と安堵するでしょう。それほど追い詰められた状況におかれ、虐待をしてしまう人もいます。

しかし、罪悪感のない人の場合は話が違ってきます。

自分は虐待をしていないのに虚偽の罪を着せられた被害者である

と訴えるのです。

そしてそのせいで不当な扱いや何らかの不利益を被っている

とさえも考えています。

自分の虐待行為を認めたり、ましてや反省したりすることはありません。

こういった状況で、被虐待児や被害者が戻ってきたらどうなるでしょうか。

虐待者にとって被虐待児や被害者は、自分を加害者に仕立て上げた憎らしい犯人であり、悪事への罰としてさらに虐待や暴力を加速させることは容易に想像できるでしょう。

そして、次にまた被害者が口を割って虐待が露呈しないように、さらに支配を強めていくのです。

虐待を受けている人の苦しみはどうでもいい

最初は小突いたり、つねったりする程度だった暴力は、次第にいいわけのできないくらいの激しいものへと変わっていきます。

複数のあざ、骨折といった大けがの場合は、誰がどう見ても「虐待の証拠」です。

虐待の証拠は被害者の体に残っているので、被害者が外を出歩けば、いつそこから虐待が発覚するのかという恐怖が付きまとうようになります。虐待がバレないよう、虐待の加速と共に被害者の行動を制限しなくてはいけなくなります

ここでもし、虐待の発覚を恐れて虐待を止めたらどうなるでしょうか?

行動の制限がなくなり、精神的支配の解けた被害者は、外で誰かに被害を訴えるかもしれません。

それは、加害者が最も恐れていることです。

虐待が加速すればするほど、虐待が発覚する恐怖は高まり、さらに虐待を続けるしかなくなるのです。

なぜならストッパーの持たない人たちにとっては、被害者の苦しみよりも、虐待が発覚し、自分が責められる方が何倍も辛いことだからです。

そしてこの時には、加害者にとって被害者はいるだけで自分を脅かす存在になっていきます。

いつ何時、被害者のケガや本人の口から虐待が露呈するか分かりません。

その恐怖があるからこそ、被害者の行動をなにがなんでもコントロールできなくてはなりません

加害者は、被害者のことを自分を貶めて不利益を与える加害者だと思い、被害者が少しでも自分の意に反することをすれば、自分の身を護るためにその行動を正さなくてはならないという心理状態になっていくのです

そして自分の意に反することをしたときに暴力や暴言を吐き、被害者を力や精神支配で言うとおりにさせることを「しつけ」だと言っているのです。

「否認の病」なので虐待行為を認めることはない

しつけでないことは本人も分かっている

捕まった虐待親は「しつけのつもりだった」と言います。しかしそれが本当の意味のしつけではないことを分かっていると私は考えています。

もし本当にそれが子どものためを考えてしている「しつけ」だと思っているのであれば、明らかに自分の行為を隠そうとするのがおかしいからです。

その行為が、行き過ぎた行為であることを自分自身も分かっていて、バレたくないと思っているからこそ隠そうとするわけです。本人も分かった上で、虐待をしていることは間違いありません。

DVや虐待などは【否認の病】と言われています。否認の病とは、依存症患者らが自らが依存症であることを認めないことです。それと同じように自分たちのやっている虐待行為について彼らは決して認めることはありません。

虐待を訴えたあとは逃げるのが大事

戻れば、反省するどころか逆恨みをした虐待者から、さらに激しい虐待に合う可能性は非常に高いと言えるでしょう。

彼らは自己保身のことばかりが頭にあり、

『人の苦しみなど理解できない』

そういう人たちです。

モラハラは中毒性がありエスカレートしていく 加害者の信じられない心理

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次
閉じる