モラハラを治す(抑える)ことができた友人が、かつての自分を振り返って言った言葉があります。
「モラハラを自覚するまでは、周りの人のことをみんな【バカ】だと思っていた」
もちろん、今ではこんなことは微塵も思っておらず、当時の自分を反省していると言っていました。
友人の言葉から、モラハラ加害者たちの尊大な振る舞いの背景には、自分自身のことを「偉い!」「すごい!」と理想化しているだけではなく、周囲の人間のことも「自分より劣っている存在」だと認識していることが原因としてあるのではないかと考えました。
モラハラ加害者が周囲の人をコントロールしたいのは、『バカ』を助けている?
まだ小さい子どもが、服を着替えるときや靴を履こうとしたときうまくいかずに失敗を繰り返して、親は思わず手や口を出しそうになることってありますよね。
「こうやると上手にできるよ」と教えたり、子どもが何度も失敗していれば、つい「手伝ってあげようか?」と言ってしまうこともあります。
失敗を繰り返す子どもを見てると、親は、「こうやればうまくいくのに」とやきもきしてしまいます。そこには、自分の方が上手くできるという気持ちがあるからでしょう。
子ども自身が手伝ってほしいときに手を貸すことは良いでしょう。しかし、子どもが望んでいないのに、親が「うまくできない子どもの代わりにやってあげる」ことは必ずしもいいわけではありません。
親は子どもがうまくいくように、手や口を出してコントロールしたい気持ちが少なからずあるのです。
一方で、モラハラ加害者も、周囲の人間を自分の意のままにコントロールしたいと考えています。この時に、周囲の人間が望んでいなかったとしても「その方が上手くいくから」「俺の言うとおりにしておけばいいんだ」と決めつけて、行動を正させようとします。それは、やっぱり「自分の方が正しい」「自分の方が上手くできる」と言う気持ちがあるのでしょう。
モラハラ夫の言い分は、「ダメな妻を教育してやっている」「妻が至らないから怒鳴らなければいけない」と言うのも、同じような考え方が根本にあると考えられます。
モラハラ加害者にとって、周囲の人間はみな「バカ」であり、「俺が正してあげている」と言う間違った親切心から周囲をコントロールしようとしているのだといえます。
何で周囲の人間が自分より劣っているように思えるのか?
このときに、そもそもなぜ周囲の人間を「自分より劣っている存在」だと認識しているのでしょうか?
理由①親が周囲の人間をバカにする発言をしていたため周囲の人が「バカ」だという刷り込みがされた
まず、第一の理由は、親が周囲の人間をバカにする発言を繰り返していたため、同じような価値観を持つようになったということです。
親から「世の中は安心で安全だ」と育てられた子どもは、同じように世の中を安心安全だと思い、「社会を信用する」ようになるそうです。反対に「世の中の誰も信用できない」と親から教わってきた子どもは「社会や周囲を信用しない」大人に成長します。
このように親の価値観は、子どもへ大きな影響を与えます。
親が周囲の人間をバカにする姿は、同じように「周りはバカばっかり」だという価値観を植え付けることになるでしょう。
また、父親が母親のことをバカにし続けていた家庭では、子どもは父親のことを嫌っていたのにもかかわらず、「母親のことはバカだ」と思っていたというケースもあるようです。これもやはり幼いころからの「刷り込み」だと言えるでしょう。
理由②他人の悪いところばかりが目に付く
人は、良いところも悪いところも兼ね備えているものです。誰しも良いところ、悪いところの両面があり、そのことを普通の人なら誰しも分かっています。
しかし、モラハラ加害者たちは、「完璧な人間がいない」ということを理解していません。そのため、あらさがしのようなことをして少しでも劣っているようなところを見つければ、それがその人への評価全てに繋がってしまうのです。
悪い点が一つあるだけで、「自分より劣っている存在」だと簡単に認識してしまいます。
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理由③自分や、自分を含めたグループが特別な存在であるという思い込み
自己愛性パーソナリティ障害の症状の中には、自分を特別な人間だと思うだけではなく、自分を含めたあるグループ(家族、親族、その他、何かしらの共通点を含んだグループ)が人より優れた存在であると最初から認識していることがあるそうです。(特権階級)
結婚では、パートナーやパートナーの親族が自分の親族よりも劣っているという無意識の思い込みをして、パートナーの親族の下げる発言をする場合もあります。
また、社会的に価値のある集団に近づき、その特権の恩恵にあやかろうとすることもします。
これらの思い込みは、親やその周囲から言葉や非言語的コミュニケーションとして、無意識に受け継がれてきているものだと考えられます。
モラハラを自覚すれば、「バカ」という気持ちは消える?
友人は、モラハラを自覚してから周囲が【バカ】だと思っていたことが間違いだったということに気づいたそうです。
周囲が【バカ】だと思っていた背景には刷り込みや思い込みがあるわけですが、その時には親から受け継いだ単一の視点で周囲を見ていたといえます。
しかし、モラハラだと自覚したときに、自分が単一的に見ていた視点に加えて、他の人から自分がどう見られているか多角的な視点で物事を見ることができるようになったのでしょう。
同じように、1つの視点から見れば【バカ】のように見えていた他人が、いろんな視点から見れば「良いところ」「面白いところ」「魅力的なところ」があることに気づくことができるようになったと言えるでしょう。
多角的な視点が【バカ】だという思い込みを崩すことに成功したのです。
まとめ
バカだと思っている人の言葉をまともに聞こうとする人はいないでしょう。
周囲の人のことを認められるようになって初めて、その言葉に価値が生まれ、影響を与える存在になるのです。
モラハラを自覚しない人へいくら話をしても【バカ】の話だと、聞いてもらえない可能性が大きいのです。だからこそ、モラハラ加害者と話し合ったところで解決しません。【バカ】の話など聞こうともしませんから。私の元夫は私のどんな話も「おまえはおかしい」の一言で片づけて終わりにしていました。夫にとって私の言葉は何の価値もないものだったのです。
モラハラ加害者と周囲の人間は最初っから立っている場所に違いがありすぎます。
モラハラが改善されなければ、こちらの話は向こうには届かないのです。
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