人を殺した少年は自分のことを「優しい」と言った 認知の歪みが過大評価を生み出す

人を殺した少年は自分のことを「優しい」と言った 認知の歪みが自分の過大評価を生み出す

このサイトでは、モラハラをテーマに、DVや虐待についても取り上げています。そして、モラハラ加害者の脳に焦点を当て、モラハラの原因を探り、モラハラ加害者から見た人や世の中がどう見えているのかについても仮説を立てて解説しています。

さて、モラハラ加害者たちが、すぐにキレたり、些細なことを大げさに騒ぎ立てる背景には、彼らの認知の歪みが関係していると考えられます。

認知の歪みとは、物事が歪んで見えているということです。

そして、この認知の歪みのせいで、自分のことさえも正しく見えていない可能性もあります。

モラハラ加害者たちは誇大な自己像を持ち、絶対的に自分が正しいと思っています。本当はめちゃくちゃ悪い人間なのに、自分のことを善良な人間だとアピールします。

それは、自分のことを正しく見えていないからではないでしょうか。

目次

なぜ人を殺した少年は自分のことを優しいと言ったのか?

ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)の中には、著者である宮口さんが、医療少年院にいる人を殺した少年に「自分はどんな人間だと思う?」と尋ねる場面が出てきます。ここで少年は自らのことを「優しい人間」だと話すのです。

「なぜそう思うのか?」と言う問いに、少年は、

「子どもやお年寄りにやさしいから」

「友達からやさしいと言われたから」

という理由を挙げます。

少年とのやりとりの中で、「人を殺したけれどやさしいのか?」と尋ねると、少し考えた後「やさしくないです」と。指摘されて初めて自分が優しくない人間だということに気づいたそうです。

また、少年たちにケーキを3等分してみてと問題を出すと、う~んと悩みケーキの真ん中に線を一本引き、さらに悩んだあと、その上にもう一本線を引く。結局、その少年は最後まで正しく3等分できませんでした。

このような少年たちとのやりとりから、彼らには、認知の歪みがあって「世の中が正しく見えていないのではないか」という推論に至ったそうです。

認知が歪んでいるからケーキが3等分できないし、自分のことも正しく理解できないのではないか、と。

認知の歪みはストレスを招く?

私は、モラハラ加害者の認知も歪んでおり、そのことで日常的にストレスをためやすいのではないかと考えています。

認知の歪みがなぜストレスを招く原因になるのでしょうか。

例えば仕事でチームの誰かがミスをしたときに、「あの人が俺を貶めるためにわざとミスをした」と考えると「ミスをした人から個人的に攻撃されている」と思い込みストレスに繋がります。しかし、「ミスは誰でもあるもの」だと考えられる人は、誰かがミスをしたことが大きなストレスにはつながりません。

認知の歪みにより、

  • 人から攻撃されている
  • 人から嫌われている
  • 自分だけ損をさせられている
  • 誰かに貶められようとしている

と思い、被害妄想的にストレスを増やすことになるのです。

私の体験談

元夫と話をしているときに、私の発言を悪い方にとり、もめたことがあります。私が「そういう意味で言っているのではないよ」と訂正しても、「俺がそういう意味で受け取ったら、そういう意味になってしまうんだよ!」と言われ、こちらの発言の意図を結局分かってもらえなかったことがありました。

夫にとっては、相手の意図がどうであるかよりも、自分がどう感じたかがすべてでした。その内容も、悪い方へ悪い方へ捉えて、もめることが多かったのです。

なぜモラハラ加害者の認知はゆがんでいるのか?

モラハラ加害者の認知が歪んでいるのはなぜでしょうか?

上記の本では、非行少年たちの「境界知能」を指摘していますが、モラハラ加害者がすべて知的に問題があるとは言えず、ひとまとめに知能の問題だとは断言できません。

私はモラハラ加害者の認知の歪みが生じる原因は、彼らの「ものさし」が歪んでいるからではないかと考えています。

たとえば、自分が勉強ができるかどうかを知るためには、どうすればいいでしょうか?勉強をしてみて理解が早かったり、テストで満点を取れれば勉強ができるということでしょうか?もしかしたら、その問題がとても簡単なだけかもしれませんよね。

勉強ができるかどうかを知るためには、人と比べて、平均値からどれくらい優れているかを見る必要があります。これがいわゆる偏差値です。偏差値というものさしがあるからこそ、自分が勉強ができるかどうかを正しく知ることができるのです。

ものさしがあるからこそ本来の自分の能力が正しく分かるわけですが、このものさし自体が歪んでしまっていたらどうでしょうか?歪んだものさしでは正しく測ることができません。自分の能力を過大評価したり、過小評価することに繋がります。

ものさしが歪む理由…。それは周囲から間違ったものさしを植え付けられているからではないかと考えられます。

悪いことをしても「お前は悪くない。悪いのは周りの人間」だと言われ続けてきたら、自分は悪いことをしても悪くないというものさしができます。誰からから注意を受けたときに「お前に嫉妬している。お前を貶めようとしている」と言われ続けたら、周囲の人間との対立を招いたり、誤ったイメージを植え付けることになります。

これらのものさしが歪んだものさしです。そして歪んだものさしで自分を見たとき、「悪くない」「悪いのは相手だ」「相手が自分に嫉妬しているからだ」「自分を貶めようとしている」と思い込み、自分の行いの善悪を正しく図ることができなくなります。

彼らが自分の行動を省みない人間になってしまう理由が分かると思います。

自分のやったことも正しく理解できない その結果、反省できないのでは?

無反省なモラハラ加害者たちは、自分がやった行いが「どれだけ悪いことなのか」を正しいものさしで見ることができません。

そうして、妻や恋人、周囲の人間からいくら指摘されたとしても、「悪いことをやっていない」と信じ切っている彼らは、自分の行いを反省することはないのです。

歪んだものさしで自分を見たとき、スケールを誤った「誇大な自己像」をつくりだす

この歪んだものさしの弊害は、他者への評価や被害妄想的な考えにとどまらず、さらには自分自身への評価まで誤った価値を作り上げます。

モラハラ加害者たちは、自らを過大評価し持っていない能力もあるようにふるまいます。

認知の歪みがまた彼らの歪んだ自己像を生むのです。

人を殺した少年は自分のことを「優しい」と言った 認知の歪みが自分の過大評価を生み出す

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