過干渉な親は時に子どもへの愛情が行き過ぎた親だと捉えられることもあります。しかし、過干渉な親というのは、子どものことを考えている親のことではありません。
「過干渉」ってどんなこと?
過干渉な親とはどんな親のことを言うのでしょうか?
子どものやりたいようにやらせ、親は見守るにとどめることは、子どもの成長を促すことは間違いありません。しかし、いつも子どもが一人でできるように時間をかけて見守れるわけではありませんし、子どもが親にやってほしいというときには、親が手を貸すことも悪いことではありません。
そして、子どもの生活にあれこれと口を出してしまうことだって、親として一度もないという人もあまりいないのではないでしょうか。
過干渉というのは、親が子どもの行動に是非を唱えないことではありません。
wikipediaでは、過干渉について次のようにまとめられています。
過干渉(かかんしょう)とは、ある対象に対し、必要以上に干渉すること。(参照:wikipedia – 過干渉)
つまり、干渉の度が過ぎているのが「過干渉」に当たるのです。
必要以上、どのくらいが必要であり、どのくらいが度を超えているのかというのは、なかなか判別が難しいところです。
親としては「必要」と思っていたとしても、子ども側からしたら「必要以上の干渉」だと思われていることもあるかもしれません。
「必要以上の干渉」はどのくらいなのか?
どのくらいが「必要以上」であるかをどのように判断すればいいのでしょうか?
私は義両親から育児に関して過干渉を受けていました。そして、実親との違いから過干渉を次のように捉えていました。
義両親からは、義両親が言う「選択肢」以外の方法を選ぼうとすると、適切なアドバイスという枠組みを超えたとても強い反発を受けました。私は、義両親から提示された「選択肢」を選ばざるを得ませんでした。そうしなければ、いつまでも粘着されて子育てそのものに支障が出てしまうからです。自分で選んだのではなく、それ以外の選択肢を選ぶ権利が私にはなかったのです。
たった一つの選択肢を「選ぶ」という言葉は適切ではありません。
対象者(私)の行動に口を出すことだけではなく、何が何でも保護者(義両親)の言うとおりにさせようとすること。
これこそが、過干渉だと思います。
<過干渉の例>
- 友人関係を過剰に詮索したり、制限をする
- 趣味や娯楽を否定し、制限をする
- 日記などを勝手に読んだりプライバシーを暴こうとする
- 学歴、職業などを押し付ける
- 門限や外出制限などに過剰なルールがある
- 自己主張や感情表現を禁止・否定する
- 化粧やお洒落を否定する、させないようにする
- 言うことを聞かなければお金を出さない、必要なものを買わない
過干渉に従ってしまう構図
過干渉を受けた場合、私のように「親の言う選択肢」を選ばざるを得ません。親の意のままに従い、自分の人生を歩むことはできません。
過干渉を受けている人は、一人の人間としての人格、価値観、意志、感情などあらゆることが認められていないのです。
それでも、義両親にとっては、あくまでも「口を出しただけ」です。確かに、殴られたわけではありませんし、物理的な力で押さえつけられたわけでもありません。強く反発して、義両親の言う言葉を退けて、自分の意思を貫き通すことだってできたのではと言われたら、それも否定できません。
私が義両親の言うとおりにしたのは、「私の意思」のようにも思えます。だって相手は「言葉」を使って話しただけなのですから。
ですが、時に「あなたたちのためを思って」という言葉を使われ、意に従わないことを暗に責められたり、反抗的な態度だと捉えられて親戚中に悪口を言われ周囲からの圧力を受けたり、人格否定や経歴否定を受けたりしている中で時間も気力も使われ、従わざるを得ない状態でした。反発しようとすると強い反感を受けるため、そのうち反発しようとする力すらなくなりました。いろいろなことがおっくうになり、従っておいた方が生きやすいと思っていたのです。
私の場合は、暴力など身体的な力を受けることはありませんでしたが、過干渉の中には、暴力や脅し、衣食住などの生活基盤を奪うことを引き合いに出してなにがなんでも言うことを聞かせるケースもあるようです。
過干渉は分かりにくい虐待
過干渉は一見強い愛情があるが故の行動のようにも捉えられてしまうことがあり、ときには「だらしない子どものために世話を焼く親」のように周囲の目に映ることがあります。
子ども自身は縛られて動けないために「何も選択することができない状態」であるのに、それを本人の努力不足や怠慢だとされてしまい、周囲の評価が問題を見過させる原因にもなります。
分かりにくいがために、親も悪びれることもなく、受けている本人さえも過干渉を肯定的に捉えていることもあります。
過干渉を受けるとどうなる?
過干渉は、本人の行動を制限させるだけにとどまりません。自分で何も選択ができないことが当たり前だとして育てられれば、将来にわたって人生設計ができない大人に成長します。
対人関係においても過干渉を受けていると、コミュニケーション能力や人間関係を構築する方法を知らないまま成長し、社会性を大きく損なっている場合があります。
就職にも制限をかけているケースでは、働かないまま年齢を重ね、職歴のない年数が長くなるにつれ、社会復帰が容易ではなくなります。
大きくなって人生が取り戻せないと分かると、その復讐心が親や社会へと向くこともあるのです。
過干渉な親の心理って?
過干渉な親はなぜ、子どもの人生にあれやこれやと口を出し、コントロールや支配を行ってしまうのでしょうか。
過干渉な親は、子どものことを「自分自身の延長(もしくは一部)」と思っています。子どもに一つの人格があり、それを尊重しなくてはいけないと思っていません。中には、自分のコンプレックスを子どもに投影して、子どもの人生を使って自分のコンプレックスを解消させようとする親もいます。(学歴や職業の強要や制限など)
子どもは自分の所有物であり、自分の意のままに扱えなくては嫌だと思っているからこそ過干渉が引き起こされるのです。
まとめ
過干渉は「子どものため」では決してありません。子どもの意思や自主性を奪い、人生を誤らせる、それが過干渉の恐ろしいところです。
親は過干渉によって子供の未来を潰しています。そして、その支配が気持ちいい(もしくは支配していないと強い不安がある)から干渉が止められないのです。また、同じように過干渉を受けて育ったことで、親になった時に同じことをしてしまう大人になる場合もあります。反対にネグレクトを受けていた親が、子どもへの愛情として過干渉を行ってしまうこともあります。
過干渉は子どもの人生に何のメリットもありません。ですが、それをしている親自身はそのことに気づいていなかったり、もしくは気が付いていたとしても自分のことしか見えていないのです。
コメント