パーソナリティ障害は、障害とついてはいますが、すべてのパーソナリティ障害が重度なわけではありません。中でも強迫性パーソナリティ障害や回避性パーソナリティ障害などは比較的病理が浅いと言われています。一方で反社会性パーソナリティ障害は、病理が深く重度(深刻)だと言われています。
そして、モラハラの原因だと考えられている自己愛性パーソナリティ障害は、やや軽度から重度まで状態は人によって様々のようです。
軽度から重度までを比べたときに、重度になればなるほど治りにくくまた、被害の程度も大きくなっていくと考えられます。
相手のモラハラが治るかどうかを考えたときに、状態の重症度が分かったらいいですよね。
一つの目安としてですが、二面性の強さで状態を図ることができるようです。
ストレスに直面した時の反応「抑圧」か「分裂」か
問題に直面したときに、その問題から自分を護る方法として行っている「防衛機制」という心の働きがあります。
たとえば、サッカーの試合でレギュラーになりたいと思っているけれど、現実問題、レギュラーになれる可能性が低かったとします。その時に、「レギュラーになりたくない」と本来の欲求とは裏腹なことを口に出したり、レギュラーを決めるテストをわざと欠席したり、レギュラーになれなかった理由として足の不調を言い訳にしたりするようなことです。
この「防衛機制」は、受け入れられない現実から目をそらしたり、葛藤から生じる不安や緊張を感じないようにしてくれたりします。
私たちは誰でもこの防衛機制を使っていて、自覚をしながらのときもあれば、全く無自覚で使っているときもあります。
防衛機制の種類やレベルについては下記の記事にまとめてあります。
ここで、防衛機制の中の「抑圧」と「分裂」について見ていきます。
問題に直面した時の反応が「抑圧」の場合は、比較的病理が浅いと考えられています。
1.「抑圧」を使う場合 <神経症人格構造>
抑圧とは、欲望や衝動を意識に上らないように押しとどめることです。
たとえば社会的に理想とされる振る舞いと、自分が本来やりたいと考えている振る舞いが一致しなかった場合、人は葛藤状態になります。この時、抑圧パターンにおいては、本来の自分を押し込めて(抑圧)、社会的に認められる振る舞いをするといったことです。(同一化)
荷物で例えるならば、箱のなかにAとBの両方が入っていて、Aを選びBは箱の奥の方に押し込んで見えない状態です。
AとBが同時に適うことができない葛藤状態において、理想とされる振る舞いをとり、本来の欲求や衝動を無意識に追いやられます。このとき、抑圧という防衛機制においては、「本来の欲求や衝動を本人は意識していないけれど心の中に保ったまま」になっています。
この人は、周囲から見ればいつも一貫した行動をとるため「この人はこういう人だ」という人物像を持つことができます。
しかし、本人は、常に抑圧している欲求を出すことができないストレスを抱えており、叶えられない不満をため続けます。それがやがて病気に繋がる可能性があります。
「抑圧」は、ヒステリーと関係していると考えられています。
2.「分裂」を使う場合 <境界性人格構造>
分裂では、理想的な自分と無能な自分というような「善」と「悪」、「万能感」と「無能感」という物事の両側面を一つのものとして統合することができず、バラバラに存在している状態です。分裂では、どちらも抑圧せず、時には一方に同一化し、また時には、もう一方に同一化をします。
箱で例えるならば、AとBがそれぞれ別の箱に入って、時にはAの箱を選び、時にはBの箱を選ぶといった状態です。
分裂の場合は、Aに同一化している時と、Bに同一化している時とで、全く違う人物になったかのように見えます。人格が不安定で行動の予測ができません。
また分裂を使う人は、他者に対しても一貫した評価をすることが難しくなります。
理想的な人物に対しては「この人が自分の理想を全て叶えてくれる」と心酔する一方で、無能だと判断した人物に対しては激しい攻撃を返します。患者とカウンセラーの関係であれば、「この人は素晴らしいカウンセラーだ。自分を救ってくれる救世主だ!」とある時までは思っていたのに、なかなか思い通りに治療が行かないと「とんだ無能だ!悪徳医者だ!」と罵ったりします。
状況に応じて、まるで人が変わったかのようになる二面性の強いタイプの人は、分裂という防御機制が働いているわけです。
また、いつも攻撃的で人に対して暴言を使うような人が、スイッチが入った途端に自分こそが攻撃されていると一転して被害者ぶるようなケースはこちらに当てはまると考えられます。
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)はかつては解離性同一性障害(かつての多重人格)と比較されたこともあり、「連続性がない」ように見えると言われています。
- 言っていることがコロコロ変わる、一貫性がない
- その人らしさ、主義主張がない(もしくはよく変わる)
- 記憶が頻繁に書き換わる
- 二重人格のような強い二面性
NPDを連続した一人の人間として見ようとすると、矛盾や激しすぎるギャップのせいで「この人がどんな人間なのか」よく分からなくなります。
どのような人であるか説明できるかどうか
モラハラ被害者の中には、加害者である人が一体どんな人物なのかをうまく説明できない方もいらっしゃると思います。私も、元夫がどんな人間であったかをうまく説明ができません。
その大きな理由としては、
- ひとつの人格として説明するには、ギャップが大きすぎる
- そもそも壊れているものであるため説明ができない
ということが挙げられます。もし、病的なナルシシズムを抱えた人であれば、このように「彼らが何者であるか」を既存のワードに当てはめることが難しくなります。
そして、予測ができない人物像であるため、彼らの怒りをよくすることができません。突如怒鳴る、暴れる、こういったジェットコースターのような環境は心を病みます。
まとめ
私は、世間のモラハラ加害者のイメージである、自分に厳しく完ぺき主義者であるがために、他人にも同じような完璧を求めてしまうタイプは、この1に当てはまるのではないかと考えています。
時に素晴らしい理想的な人物に見える一方で、考えられないような悪人にもなる場合は、2のタイプでしょう。
また、2のケースでは、カウンセラーや医者に対しても自分の思い通りにならないと怒り、無能だと罵ったりするそうです。もし、治療が成功して改善されていけば、1の神経症人格構造に変わっていくようです。
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