お母さんが笑っていれば子どもは喜んで面会交流に行くっておかしくないか?

お母さんが笑っていれば子どもは喜んで面会交流に行くっておかしくないか?

家庭裁判所の考え方や調停委員から言われることは絶対的に正しいとは感じていません。特に面会交流についてはすべてを一般論の中に押し込めることはできず、個々のケースについての対応を考えなくてはいけません。

私は家庭裁判所のビデオや資料、また調停委員から言われたことに「子どもが面会交流を嫌がるのは、母親が子どもに面会交流をさせたくないという意図をくみ取っているにすぎない。母親が笑顔で送り出せば、子どもは喜んで面会交流に行く」というものがあります。私はこの言葉を鵜呑みにすると、我が子を傷つけてしまうことになるのではと危惧しています。

目次

家庭裁判所の考え方

子どもは同居親の意見を自分の意見だと思うようになるはホント?

ここからは、私が離婚した際に家庭裁判所から言われた言葉をまとめています。↓

家庭裁判所から言われた言葉

子どもは両親の離婚で傷つき、自分の居場所が足元から崩れ去るかのような経験をします。両親とは一緒に暮らせず、一緒に暮らす「同居親」と離れて暮らす「別居親」という2種類の親ができることになります。

家族がバラバラになるということは子どもにとって大きなダメージを与える出来事です。別居親と別れて暮らさなくてはいけなくなる現実を変えることはできません。子どもはたとえその現実が受け入れられなくても必然的にその環境に身を置かなくてはならないのです。

家族がバラバラになることで自分の居場所が不安定になった子どもは、同居親との関係をも崩してしまうことを極度に恐れるようになります。そこで、同居親からさらに見捨てられないようにするために、同居親の考え方に迎合するようになります。

同居親が別居親に恨みや会いたくない気持ちがあると、それをさも自分の気持ちのように受け取り、別居親との関係を断ち切るような振る舞いをするようになります。それが本人の意志に反することであっても、子どもは自身が同居親から見捨てられないための生存戦略としてこのような振る舞いをするのです。

ですから、同居親は子どもの前では決して別居親の悪口を言ってはいけませんし、子どもが面会交流をするときには笑顔で送り出してあげてください。

子どもが嫌がっているそぶりを見せていたとしても、同居親が面会交流の楽しさを伝え、笑顔でいさえすれば、次第に子どもは喜んで面会交流に行くようになります。

と、ここまでが面会交流が子どもの権利であると捉えられ、推進されるようになってからの一般的な考え方です。

子どもは賢いので、親の意志をくみ取り自分の振る舞いを変えることができると私も思います。しかし、同居親の態度で子どもが積極的に面会交流をするようになると安易に関連付けることは危険もはらんでいるのです。

この考え方の問題点とは?

この考え方の中には、まず一つの矛盾が存在しています。それは、子どもが面会交流を嫌がる原因は同居親にあると言っている一方で、子どもの意思を尊重するために同居親は面会交流を推進するべきと言っている点です。

子どもが拒否する場合は同居親からの影響があると断言しているのに対し、子どもが喜んで面会交流に行くのは子どもの意思であると結論付けることは矛盾しています。

もし、子どもの考え方に同居親の意思が反映されるのであれば、親が反対したときも賛成したときもどちらもそれは親の意志であり、子どもの意思ではないことになります。

子どもの意思のみを反映させるのであれば、同居親は「面会交流について賛成も反対もしない」が正しいはずです。

面会交流が成功すれば同居親はいい親になり、失敗すれば悪い親になる

また、面会交流が成功するかどうかが同居親の振る舞いにあると結論付けることは、同居親に余計なプレッシャーをかけることにつながります。

子どもが面会を拒否していた場合、それは同居親が子どもに圧力をかけていると見なされ、親の振る舞いが悪いからだと批判されることになります。実際に、家庭裁判所や調停委員、面会交流を仲介する第三者機関の中にも、このような考え方をしてそれを公言している方もみえます。

その考えの中には、子どもは絶対親との面会交流を望み、また面会交流をすることが正しいという固定観念が見て取れます。

同居親は「ほんとは面会交流を拒否したほうがいい場合」であったとしても、自分が悪い親ではないという証明のために面会交流をやらざるを得ない選択をしなくてはならなくなる可能性があるのです。

子どもが親の笑顔で行けるようになるのであれば、不登校はなくなるはず

たとえば、子どもが学校に行くことを拒否していた場合、親が笑顔で「学校は楽しいところだよ」「学校に行こう」といえば、登校できるでしょうか。

子どもが拒否する原因は、学校と本人の間に問題がある場合がほとんどで、親とのかかわり方にその原因を結びつけることが必ずしも正解ではありません。(なかには家庭の中に問題があり、それが本人の問題行動に繋がっているケースもあります。)

そして、子どもが行きたくない理由があるのにもかかわらず、親が「楽しいよ!」と前向きな発言をして無理に子どもを登校させようとすると、子どもは傷つき心を閉ざしてしまうでしょう。唯一の味方である親や家庭すら自分の味方ではないと感じて、自分の居場所はどこにもないと思ってしまうかもしれません。その結果、悪い方に転んでしまうことも十分あります。

親と子どもの関係がうまくいってさえいれば、すべての問題が解決するわけではありません。

子どもが抱えている問題が何であるかに焦点を当てて、その問題を解決しなくてはいけないはずです。

子どもが拒否している原因がなんであるのか、何が問題でどうすればその問題を解決できるのか、問題を正しく見極めることが必要です。

面会交流でも、不登校と同じように子どもの気持ちに寄り添うことが必要であると私は考えます。親は面会交流を進めるのではなく、離婚によって失われかけている子どもの居場所を確保してあげることを優先させるべきです。

安定した居場所を手に入れることができた子どもは、次第に自らの本心を親に言えるようになるはずです。もし、子どもが本当に別居親と会いたいと望んでいるのであれば、その時に子どもが本心を話してくれるでしょう。

子どもが面会交流に行くのは「親のため」である場合もある

私の子どもは、一度だけ父親に会いました。そしてその一度のために足を運んでくれた理由は「私が行かなければ、(元夫に)お母さんが怒鳴られると思ったから」でした。

子どもは時には親を守るために自分を犠牲にすることもあります。そして、その時に私が面会交流を子どもに笑顔で勧めていたら、子どもはどんなに傷つき、どんなに辛い思いをさせることになったでしょうか。

そのあとは、本人の意思で直接交流をやめています

子どもの本音は時には親を守るため、親自身にもそれを伝えないこともあります。私の場合も子どもからこの話を聞いたのは、面会交流が終わってからしばらくした時でした。そして、私は子どもを面会交流の場に連れて行ったことを後悔しました。

しかし一方で、私は元夫のことも、面会交流のことも触れず、そっとしておくにとどめていました。そしてそれが、子どもが本音を言える環境を作ることにつながったのではないかと感じています。

まとめ

親が子どもを守りたいという気持ちと同じくらい、子どもも親を守りたいと思ってくれています。そしてまた、子どもを本当に守れるのは、やはり親です。

家庭裁判所や調停委員も面会交流をすすめてはいますが、何かあった時の責任を取ってくれるわけではありません。あくまでも、自己責任の上で、面会交流をどのように行うかを決めなくてはなりません。

私は子どもを犠牲にすることないよう、また子どもを守れるように何がベストなのかを常に考えて行動していこうと思っています。

面会交流で必要なのは、考えることをやめないことです。一般的な面会交流が必ずしも自分のケースに当てはまっているとは限りません。それを「みんながやっているから」「一般的に面会交流はやるものだから」と思考停止して受け入れるのではなく、本当に子どもにとって面会交流がプラスになるのかどうかを見極めなくてはいけないと思っています。

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