尊大で傲慢で自己中心的なモラハラ加害者は、何よりも自分が大好きなナルシストのように見えます。
しかし、本当は抱えきれないほどの自己否定感を抱えています。
決して認めようとはしませんが、彼らは自分のことが大嫌いなのです。
モラハラが起こるとき彼らは自分の嫌いな部分を他人に「投影」する
心理学で「投影」とは、自分の悪い部分を自ら認めたくないばかりに他人に押し付ける心理のことです。
モラハラ加害者がモラハラをする原因には、自分自身の認めたくないところを他人に投影するためであると考えられます。
自分の中で認めたくないもの=シャドウ
モラハラ加害者は自分が理想的なリーダーであり、人々の中で強い存在としてふるまいます。
しかし人間は誰しもそれぞれ弱さを持っているもの。
彼らは自らの弱さを認めることができないので、弱さに気づかないよう蓋をし、自分には「弱い面」なんてなかったことにしようとします。
また、善しかない人間もいません。悪い面といい面が混在した存在が人間らしさでもあります。
彼らは「良い人間」「強い人間」だと思い込んでいるので、これらの【悪い面】【弱さ】を表に出さないようにします。しかし、しまい込んでも消えることはないため、【悪い面】【弱さ】はコンプレックスとなって心の奥にたまっていきます。
このコンプレックスは、
ふだんは意識下に抑圧されているものの、現実の行動に影響力をもつ。(参照:wikipedia – コンプレックス)
のだそうです。抑圧され、本人に自覚がなかったとしても、彼らの行動となって現れます。
スイスの精神科医・心理学者のユングは、自分の中にあるもので、自分自身で認めたくない嫌いな部分や見せたくない自分を「シャドウ」と提唱しました。
光の当たる「良い面」と影となる「悪い面」。
まさにシャドウとは自分自身の影なのです。
彼らが攻撃しているのは自分自身の影(シャドウ)
彼らは、自分自身のコンプレックスを認めたくないという気持ちが強いために自らの悪い面を否定します。
しかし、いくら抑圧していても【弱い自分】【悪い自分】が現実的な行動となって現れます。
このシャドウが目の前にあらわれたとき、彼らは怖くなったり、ビックリしたり、苦しくなったり、不安になったりします。
この不安や恐怖から逃れるために、攻撃を仕掛けます。
しかし、自分には「そんなものはない」と思っているので、彼らが攻撃するのは自分ではありません。
自分を被害者に重ね、受け入れがたいものを消そうとするために攻撃が被害者に向かうのです。
彼らの攻撃は自分自身の許せない部分に向かい、自らの影に向かって叫んでいるのと同じことです。
攻撃は何のために行われるのか?
シャドウとは、自分が認めたくない自分のコンプレックスの部分です。
見たくないものを目の前に出されるのですから、抑えきれない嫌悪感が湧いてきて感情的になります。
なぜ劣等感を認められないのかというと、彼らもまた、誰かから投影され、弱い部分を他人から否定されてきたからだと考えられます。
つまり、そんな人間であってはいけない、弱くてはいけない、完璧でなくてはいけない、この様な気持ちが他者への攻撃になって現れるのです。
不安や恐怖などが攻撃への引き金になり、攻撃は彼らのコンプレックスから身を守るために行われます。
また、自己肯定感が下がる出来事があった時に、肯定感を取り戻すために他者を攻撃することもあります。
色々なところで攻撃をする人はコンプレックスの塊
攻撃性の強い人は、コンプレックスが多く、かつコンプレックスを抑圧する力がより大きいといえます。
攻撃対象が特定の人ではなく身の周りのあらゆる人に向き、外ではクレーマー、モンスターペアレント、会社ではパワハラ上司になっている人もいます。
自分のコンプレックスを容認できないために、他者に対しても寛容になれません。
攻撃性の強さは言い換えれば彼らのコンプレックスの強さそのものです。
なぜ被害者に対してあまりに冷酷になれるのか?
モラハラ加害者は、時には人間かと思うほどゾッとするような冷酷さを見せます。
彼らは、自分自身の嫌いな部分に対して容赦がないために、投影した被害者に対しても容赦なく振舞うことができるのです。
自分自身のシャドウを受け入れがたい、だからこそ投影した被害者のことも受け入れることができません。
そして過剰な攻撃に繋がります。
表向きの顔がいい人ほど、そうなるために自分を押し殺してきた人であり、コンプレックスに対して容赦がありません。被害者に対してより冷酷で残虐な行いをしてしまう可能性があります。
モラハラ加害者がモラハラ加害者とつるむ理由
モラハラ加害者はモラハラ加害者同士つるんで集団で人を攻撃しているケースがあります。彼らは、強いポジションにいることを好むからです。
また自分の代わりに他者(投影した相手)を攻撃してくれる人は、彼らにとって自分のコンプレックスを遠ざけてくれる人でもあります。
彼らはよく怒鳴ったり、他者に対して不平不満を言う人のそばに好んで居続けるようとします。
子どもはコンプレックスを刺激する存在
弱くて未熟な子どもたちは、モラハラ加害者にとって自分のコンプレックスを刺激する存在です。
引き金となるのは、加害者自身が「こういう弱い面は許されない」と抑圧している部分です。
幼少期に抑圧してきた感情が多いほど、子育てを通じて感じるコンプレックスが多くなります。
感情を素直に表に出すことを許されていなかった場合、子どもが大きな声で騒いで楽しそうにしていることに腹が立つかもしれません。
泣くことが許されていなかった場合、子どもが泣いただけでも腹が立つかもしれません。
子どもはまさに、彼らのコンプレックスを刺激する存在であり、コンプレックスを遠ざけるためにモラハラ加害者の攻撃対象になるのです。
幼少期の自分が許せなければ許せない人ほど、我が子を冷酷に扱うことができてしまいます。
中には、自分の親と一緒になり、我が子への虐待をするケースもあります。
大嫌いな自分を認めるのが加害行為をやめる第一歩
幼少期に家庭環境に恵まれなかった人でも、自身を律し、愛情深い子育てをしているケースがあります。こういったケースで共通しているのは、自分自身が受けていた行為を良くないことだと認識し、自分の心に傷があることを自覚しているということです。
加害行為をやめるためには、自分のことをよく知り、自分の影である「シャドウ」を受け入れることが必要です。
自分はそんな人間ではないとコンプレックスを見ないように遠ざけているだけの人は、他人に対しても寛容になれません。
「本当はそんな人間ではない」
「誤解している」
というようなモラハラ加害者は、依然として【悪い自分】を認めることができていません。いくら話し合いを重ねても何も変わらないでしょう。
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