なぜモラハラ加害者はパートナーに敵意を向けながら依存してしまうのか?

なぜモラハラ加害者はパートナーに敵意を向けながら依存してしまうのか?

恋人や配偶者がモラハラ加害者であった場合、矛盾した感情によって関係がこじれていくことが往々にしてあります。

たとえばモラハラ加害者は、パートナー(ここでは配偶者も含んでパートナーとします)に暴言を吐いてきたり人格否定をします。「お前は本当にダメな奴だ!」といい、パートナーのせいで自分が不幸であるかのようにいいます。そんなに嫌いで許せない相手であれば、離れればいいだろうと思いますが、離れるどころか「お前が変わればいい」といってぐいぐいと近づいてきます。

他にも、些細なことで怒鳴りちらし、家庭内はいつも嵐のように大荒れです。家庭は休まる場ではなくなり、戦場のようになります。その大荒れになる原因はパートナーにあると言い、いかに自分が苦しめられているかを語ります。それでも、苦しめられているというその相手に自分を満たしてもらおうとします。

さらには相手が離れていこうとするとそれを拒否し、しつこく追いかけてきています。

このような矛盾した感情は、モラハラ加害者との関係においては特に夫婦や恋人といった恋愛感情を持つ相手によく起こると考えられます。モラハラ加害者に困らされる人は、加害者の「家族」や「恋人」という関係である場合が多いのです。

なぜモラハラ加害者はパートナーに敵意を抱きながら依存をしてしまうのでしょうか?

目次

「他者承認」は依存を生み出す

人間にはいい面も悪い面もあるのが普通であり、大人になれば自然とその悪い面も自分の一部であると認め、等身大の自分を知ることができます。

自分自身の悪い面を知っているからこそ、その悪い部分をどう解決していくかという対応ができるとも言えます。

ありのままの自分を知り、ありのままの自分に価値があると思うこと。

この状態は、「自己承認」ができるようになった段階だということです。

ですが、自己肯定力が低くいつまでも「他者承認」のステージから抜け出すことができないままの人は、結婚するとパートナーから自分を認めてもらうことで自分の価値を決めようとします。

パートナーが自分の価値を掌握していると思い、パートナーからの関心や注目が自分の価値だと置き換えます。

そして、パートナーにもっと自分を見てほしい、もっと愛してほしいと依存していくようになります。

いつまでも「他者承認」の段階にとどまっている人は、自分の価値を見出すときにパートナーからの承認が必要不可欠である

抑圧と投影と「敵意」の関係

自分の中にあるのに自分自身ではそんなものはないと思い込んでいるものを「抑圧」と言います。モラハラ加害者は、自分が理想的な人間であると信じているため、自分自身で認めることができないコンプレックスが非常に多い人たちです。

ありのままの自分を認めることができないというのは、言い換えれば自己肯定力が低いということです。自分で自分を認めることができないので、自分の価値は誰かに認めてもらわなければいけません。

彼らが「他者承認」のステージにいるということは明白です。

そして、自分では認められない悪い自分は消えてなくなりはしません。モラハラ加害者たちの中には、不都合な事実がいつもあることになります。この不都合な事実(抑圧)から逃れるため、悪い自分を誰かの責任にして解消しようとします。それを「投影」と言います。

本当であれば、自分自身の内面の未解決の課題が自分を苦しめているわけですが、彼らの中では、周囲の人が自分を苦しめていると認識しています。

自分を悩ませるのは、パートナーに悪いところがあるせいだと思っています。

そして解決するべきはパートナーであるのに、いつまでも解決をしてくれないとイライラしているのです。

さらに自分で自分の価値を決められない彼らは、パートナーの態度次第で自分の価値が大きく揺らぎます。パートナーが自分のことを認めてくれなければ自分自身の価値がなくなってしまうという恐怖にさらされています。

こうなった時点で、パートナーは自分を満たしてくれる存在ではなくなり、自分を悩ませたり、自分を傷つけてくる人だという認識になります。

彼らは自分を満たしてくれないパートナーが果たすべき役割を果たしていないと思い、イライラを募らせ、最終的に「敵意」を向けるようになるのです

モラハラ加害者は、パートナーが自分を満たしてくれないひどい人間であると敵意を向けるようになる

「愛されない自分」をどう解決するか

では、この「敵意」を解決するためには、どうしたらいいと彼らが考えているかというと、パートナーが悪いところを治せばいい、パートナーが自分の価値を認めればいいわけです。

パートナーが自分の言うとおりになった時に、まるで人が変わったかのようにコロッと態度が一変することがあります。彼らは、自分の思いが通じ解決のための道筋ができたと思うのでしょう。

このような方法は、一時的に彼らの心を満たしてくれるかもしれませんが、それは長くは続きません。

本質的な解決に至っていない彼らのコンプレックス(未解決の課題)は心の中にずっとあるからです。

すると彼らは、やっぱり問題を解決してくれないパートナーに「もっと愛してくれ」「もっと認めてくれ」「もっと、もっと」と執着していき、依存を深めていきます。

一時的に心を満たすことができたとしても、本質の解決ではないために「他者承認」に終わりがない。

人任せな「依存」ではこの問題を解消できない

彼らは、自分の苦しみを解決するのはパートナーだと思っています。そして、そのカギは相手が握っているから自分では問題解決ができないと考えています。人任せは楽なように見えて、自分の苦しみを自分で解決できないというジレンマを生み出します

そして、彼らの言う解決方法では、一生かかってもこの問題が解決することはありません。

葛藤ナマモノ

私が感じているのは、何かをきっかけに変貌したモラハラ加害者たちは、「隠していた本性を現した」だけではなく、最終的にターゲットを明らかに敵対視する関係になるということです。

なぜモラハラ加害者はパートナーに敵意を向けながら依存してしまうのか?

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