モラハラ加害者は、過去にはモラハラ被害者であり、多くの場合、親や家庭に対してトラウマを抱えています。
幼少期の親や家族へのトラウマが、結婚して家庭を持ったり、子どもが生まれること刺激され蘇ることで、結婚、出産と言ったタイミングでモラハラが始まるのでは、と私は考えています。
モラハラ加害者たちの、家族や家庭へのトラウマは、なぜ蘇ることで「モラハラ」へとつながってしまうのでしょうか?
モラハラ夫が家庭を持つと幸せになれないのでは、と考える理由をまとめました。
トラウマがなぜモラハラへとつながるのか?
まず、モラハラ夫が抱えているトラウマが蘇ると、なぜ、モラハラ行動へとつながってしまうのでしょうか?
1.自分がされた子育てと、我が子への子育ての仕方が違うのが許せない
たとえば、仕事で「新人は、朝8時に来て掃除をするように!」と上司から命令されたとします。「今までの新人はすべてそうやってきたんだ!」と言われたら、なかなか断ることができませんよね。会社の慣習だと受け入れてしぶしぶ新人の間は掃除をしたとします。
次の年、新人が入ってきました。新しく入ってきた新人がいるので、もう掃除をしなくて済みます。しかし、その年から方針が変わり、社員全てが持ち回り制で朝掃除をすることになったらどうでしょうか?
「自分は一年間、掃除を頑張ったのに!この新人だけ掃除を免れてズルい!」
そう思いませんか?
強制的に嫌だと思うことをさせられていた時に、それが「全員がそういうルールだから」と言うときにはしぶしぶ耐えられたとしても、そのルールが適応されない人が出てくると、「ズルい!」「不公平だ!」と抑えていた怒りが爆発します。
しかも、すでに自分はそのルールでの頑張りを終えていて、今更掃除をしてきた分を取り戻せないとなると、より腹が立ちますよね。それだったら、今年の新人だって去年の自分のように一年間一人で頑張ってほしい…そう思う気持ちだってわからなくはないはずです。
これと同じように、モラハラ加害者は、幼いころモラハラを耐えながら過ごしてきました。それは家族みんなが耐えていたので、「そういうものだ」と思うことで何とかやってこれたのです。
しかし、自分の子が生まれると、その子はモラハラのない環境でのびのびと育てられています。
この時に、過去のトラウマの扉が開きました。
「なぜ、自分はあんなにみじめな思いに耐えてきたのに、この子はその想いをしなくて済むんだ…!」
みんなが耐えるものだった時には抑えられていた怒りが、途端に爆発します。
このときに、モラハラ加害者は、
「この子も同じ目に遭うべきだ!」
そう思ってしまうんです。
今更、自分が耐えてきたモラハラを無かったことにしたり、耐えてきた分、良い思いを味わうと言ったことはできません。その鬱憤を晴らすためには、同じ目に遭う人を増やす、それしかないのです。
2.自分の居場所がなくなる不安が大きすぎる
自分の幼少期と比べ、我が子が優遇されていると感じると、子どもへの嫉妬が尋常ではなくなります。そのために、子どもと妻の愛情を取り合ったり、自分の方が上であると子どもと張り合うと言った問題行動が増えます。
モラハラ夫にとっては、幼いころの愛情を受けられなかった分を取り戻すためには、今の愛情にすがるしかありません。しかし、今の愛情を子どもが取って行ってしまったら、「自分には誰も一番に愛情をかけてくれる存在がいない」ことに気が付かなくてはいけなくなります。
モラハラ夫にとって、それは死活問題です。
自分は「自分のことを愛する人から一番に愛されなくてはいけない」のですから。
つまり、「妻」からも「子ども」からも自分が一番に愛されなくてはいけないのです。
そのためには、妻と子どもの中を引き裂いて、敵対させることもします。子どもに妻の悪口を吹き込み、嫌うように仕向けます。また、子どもの失敗や悪行を妻のせいにします。妻は、怒鳴られないようにするために、より厳しく子どもをしつけないといけないと思い、きつく当たるようになります。
こうやって、親子の中を不健全に引き裂くことで、「妻」からも「子ども」からも一番にされる自分を作り上げていくのです。
3.モラハラが「愛情」だという間違った認識をしている
モラハラ加害者は、今もなおモラハラ環境にいることが多いと考えられます。
モラハラ加害者は、幼いころ親から適切な愛情を受けることができませんでした。愛情の代わりに受けてきたのが「モラハラ」です。そして、モラハラ親に言わせれば、それが「愛情」でした。この間違った教育によって、「自分のことを過度に心配してくれるのは、自分を愛しているからだ」と錯覚しています。
だからこそ、職場や友人関係でモラハラをする人がいたとしても、それは「部下のことを想って厳しくしているんだ」とか「友人のことを想ってあえてきついことを言っているんだ」と間違って認識し、普通の人とは異なる解釈をしていることがあります。
モラハラ加害者が加害者同士上手くいくのは、こういった誤った認識により、「モラハラが愛情表現」だと受け取っているために成り立つのだと考えられます。
正常な愛情を知らないため、我が子への愛し方も歪んだ表現になり、「モラハラ」で「愛情表現」をしようとします。
子どもを傷つけることを言うのが、「冗談」だったり、子どもを過度にコントロールするのも、「子どもへの愛情表現」「子どもが心配だから」だと言います。
そういう風に育てられてきたので、そういう愛情のかけ方しか分からないのです。
モラハラ加害者は、家庭を持つことで、本人も苦しむのでは?
モラハラ加害者は、家庭を持つことで自身の持つトラウマが刺激され蘇ります。これだけでも辛いできごとなのに、家庭を持つと否応なしにみえてくる「(他人が受ける)愛情」が自分のそれと違いすぎて、みじめな気持ちにさせられるのです。
しかし、自分が妻よりも不憫な存在であってはいけないと思う彼らは、妻の方が優れているとは思いもしません。自分が惨めにならないためには、周囲をもっとみじめにさせればいいと働きかけます。
妻の実家は自分と妻の仲を裂く厄介な存在だと思い、妻が実家に帰ることを制限したり、疎遠にさせようとします。
モラハラ男は、自分のことを一番に愛してもらいたい想いが強いばかりに、新しくできた家族を縛り、支配しようとします。
しかし、その支配や束縛、コントロールが過剰なため、ついていけなくなった家族は見限り去っていくことが多いのです。
彼らは、家族や家庭を持つことで癒されるどころか、不幸になる道を進んでいってしまうことになるのではないでしょうか。
もちろん、モラハラ男の家族も不幸になることは言わずもがなのことです。
コメント