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【小4女児虐待死】被告の発言は「嘘」なのか?記憶が本当にそうなっているのか?

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【小4女児虐待死】被告の発言は「嘘」なのか?記憶が本当にそうなっているのか?

投稿日:2020年3月8日 更新日:

虐待死 父親の被告「事実はなしているだけ」(日テレニュース24)

野田10歳女児虐待死裁判で、父親である勇一朗被告の被告人質問が行われています。証人との事実が異なる供述をしており、事実関係は未だに解明されていません。

父親は、死亡直前の暴行に対しても「やっていない」と供述しています。

意図的に嘘をついているのでしょうか?それとも、記憶の中ではそうなっているのでしょうか?

記憶は"実際にあったもの"ではない

古い記憶を思い出そうとしたときに、その記憶の中に自分の姿があることはありませんか?例えば喜んでいたり泣いていたりする自分の表情が浮かんだり、自分のことを俯瞰的に見ていたり、自分の真後ろにカメラがあるかのような映像が記憶の中から浮かぶことがあります。

記憶には、一人称視点第三者視点という2種類の記憶のされ方があり、どちらも正常な記憶です。一人称視点というのは、まさに自分が見た映像が記憶として思い浮かぶもの。第三者視点とは、まるでカメラに映った自分を見るがごとく第三者から見た映像で自分の姿が記憶の中にあるものを言います。

私たちは、自分のみたものをそのまま記憶していると思っていますが、実際はそうではないようです。

「あの時自分はここに立っていて、こんなことをしていて…」と思い出しているうちに、自分の姿を想像し、その想像した自分を記憶に追加していきます。その過程で記憶された映像が第三者から見たもののようになるのです。

こうやって記憶を何度も思い出しているうちにだんだんと自分の想像が入り込み記憶が補正されていきます。

記憶は自作映画のようなもの

記憶とは、あるがままのものを残しているわけではなく、自分の想像力、いわば主観が入っているものです。本来ならそこにいた人が自分の記憶の中からだけぽっかりと聞けていることもあります。また逆におなじ体験をしたにもかかわらず、人によっては全くストーリーが異なっている(時には真逆になっていることも)あるわけです。

同じ映像を撮っていても(見ていても)、それを誰がどう編集するかによって全く別のものになるのと同じです。同じインタビュー映像であっても悪意を持ってセリフを切り取ってつなぎ合わせれば、全然違う趣旨の内容に変えてしまうこともできます。しかし、そこに使われている映像は本物です。

また、私たちの記憶は、自分が見たものをそのまま映像として残しているとは限りません。下記は実際に会った私の記憶の改編の話です。(読まなくても大丈夫です。)

幼稚園でロビンフッドというディズニー映画を観たことがあります。私の通っていた幼稚園では、予防接種のときに注射を打ち終わった子どもから映画の流れているクラスに移動してそこで待つことになっていました。映画は流れっぱなしなので、注射が終わるタイミングによっては途中から映画を観ることになります。

この映画の中には、ロビンフッドがお辞儀をしたときに、プリンスジョンがロビンフッドの服の間に剣を差し込み、服を切って変装がばれるというシーンがあります。

私はこのシーンを大人になるまで、プリンスジョンがハサミでロビンフッドの服を切るのだと記憶していました。プリンスジョンが大きいハサミをもって服を切るカラーの映像まではっきりと覚えていたので、まさか自分の記憶の方が間違っていると思わずに、該当のシーンが描き替えられたのかと思っていたのです。

恐らく私は、注射をし終わって途中から映画を観始めたために、鑑賞前の部分を周りにいたお友達に聞いて、それをあたかも自分が見たかのように記憶していたのだと思います。それでも記憶の中では、ハサミで服を切るシーンがアニメになっていました。

このように私たちの記憶は、実際に見たものだけを記憶しているのではなく、人から聞いた話を補完して記憶している可能性もあります。

記憶の中でなかったことにできるのか?

しかし、思い出したくないような記憶を意図的に"無かった"ことにすることができるでしょうか?

多くの人は、恥ずかしさを感じたり、辛いと思っている記憶こそなくなって欲しいと望んでいてもその望み通りにはならないことを経験していると思います。古い過去に悩まされたり、いつまでたっても傷が癒えずに苦しむことだってあります。

私たちは、自分の思い通りに記憶を都合よく改竄することも、簡単にはできないのです。

自己愛性パーソナリティ障害にはなれない人

自己愛性パーソナリティ障害というのは、自己愛が歪んでおりあるがままの自分を愛することができない障害です。彼らは強い自己否定感を抱えていますが、誇大な自己像があるために、自己否定感につぶされずに済んでいます。

逆に言えば、「自分はダメだ」と自己否定感に潰されてしまう人は自己愛性パーソナリティ障害ではありません。

つまり、いくら自分はすごいんだすごいんだと思おうとしても、現実的にそんなものはないと冷静になる人は、形だけの自己を膨らますことはできません。

この誇大な自己像は、ただの思い込みや、セルフマインドコントロールで意図的に行っているものではないはずです。

どう切り取られどう記憶されたのか

離婚調停で、元夫から提出された主張文は、それが事実であるか否かにかかわらず、事実である部分についても時系列がめちゃくちゃでした。結婚前のことが別居直前のことのように書かれていたり、出来事の順序が入れ替わっていたり、別の機会に言ったセリフが別のときに発言したものに変わっていたりしたのです。まるで出来事がスナップアルバムのように切り貼りされたかのようでした。

自己愛性パーソナリティ障害の人の嘘というのは、「全くなかったことを0から作り出す」というよりも、自分が言ったことを人が言ったことにしていたり、自分のやったことをほとんどゼロにして、人がやったことを100にするような、(実際にあった)事実をゆがませているケースが多いように感じます。

勇一朗被告のケースでも、お風呂場での出来事や心愛さんを押さえつけたことなどは認めています。しかしそこに至る背景は否定していて、証人と食い違っています。

冒頭の話に戻りますが、私たちの記憶はあったものをそのまま留めるのではなく、想像力が記憶を補完しています。

それはインタビューを切り貼りすれば趣旨が異なるものに仕上がるように、出来事を切り貼りするだけで全く異なる記憶に仕上がることもあるのではないでしょうか。

実際にあった出来事を、どう切り取ってどう編集するのか。

自作映画という記憶をつくるにあたって、この主観的な部分は非常に重要で、映画のストーリー(記憶)そのものにかかわってくることなのだと思います。

まとめ

私たちは、現実的ではないほど誇大な自己像を膨らませることはできません。

しかし、彼らにはそれができる。

記憶を切り貼りして都合の良いように作り替え、それを自分の中で真実とすることもまた、彼らにはできるのかもしれません。

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