DVやモラハラがある環境下で育つ場合、そうでない家庭で育つ子どもと比べて将来、DVやモラハラをする可能性が高いといわれており、これをDVやモラハラの世代間連鎖といいます。
一方の親がDVやモラハラをしなかったとしても、子どもに受け継がれてしまいやすいのには理由があります。
また、彼らは意図的にモラハラをしない親と子どもの中を分断します。悪口を吹き込む、非モラハラ親が言っていることは正しくないという、非モラハラ親を攻撃しているところをあえて子どもに見せたりします。彼らは、彼らと非モラハラ親との紛争に子どもを巻き込みます。その結果、子どもに必要な教育やしつけが行き届かなくなる可能性があります。
DVやモラハラ家庭では歪んだ家族像が育つ
誰かが怒鳴られるシーンや殴られるシーンを日常的に目にする環境で育つと、「DVやモラハラと言った暴力行為がどこの家庭でもある当たり前のこと」だと学びます。
父親がいつも母親を殴る環境で育った場合は、「父親とは母親を殴るものだ」と学んでしまいます。特に幼少期の子どもは他の家庭の中を見る機会が多くありません。家庭の中だけで育てられる子どもは、「殴らない父親」を見る機会がありません。
また、DV加害者は他責的で自分の言動も被害者に責任があるように言います。
「母親が悪いことをしたから殴ったんだ」
それを聞いた子どもは、悪いことをすれば殴られると学ぶでしょう。そして、悪いことをした人は殴ってもいいとも学んでしまうでしょう。
DV・モラハラ家庭でしつけはできるか?
わざと非DV親と逆のことを言って邪魔をする
両親間でしつけの方針が同じでなかったとしても、お互いに尊敬の気持ちがある家庭では互いのしつけをフォローしあうことができます。また、人はそれぞれ違う意見を持っていること、意見が違っても共存できること、話し合いで歩み寄っていけることなどを両親の姿を通じて学ぶことができます。
しかし、DV親はもう一方の親へのリスペクトはありません。非DV親を困らすためにわざと真逆のしつけをさせようとすることもあります。
たとえば、「歯を磨くな」、「寝かしつけをするな」、「朝起こすな」と言い、基本的な生活習慣を身につけるために必要なことですら邪魔しようとすることもあります。
子どもを非DV親の支配のために利用する
さらに悪いことに、DV親は時に子どもを味方につけようとすることがあります。子どもが何か悪いことをすれば非DV親の責任にしたり、子どもに非DV親の悪口を吹き込むなどです。
子どもは自分の得になる方の親につくこともあります。DV環境下ではそのようにふるまわなくてはいけない場合すらあります。それはある意味、弱いものが生きていくための生存戦略でもあるのです。
時にしつけに辟易した子どもはDV親に「母親がこんなことをいった」と告げ口すらすることもあるようです。
非DV親を軽視することでしつけの言葉が届かないようになる
DV家庭では、DVを受ける親の意見はそもそもないものだと扱われます。その振る舞いを見ている子どもからも非DV親は軽視されることがあります。
DV親が言えばすぐにやめるけれど、非DV親がいくらいっても言うことを聞かないといった状態がつくりだされます。この状態でいくら「暴力はダメだよ」と非DV親が言っても子どもは聞く耳を持ちません。
DV親は子どものためになるしつけを行ったりはしません。自分が嫌な思いをしたときだけ子どもを怒鳴ります。子どもは言うことを聞きますが、DV親を怒らせないようにすることだけを学んでいくのです。
必要なしつけが届かないまま子どもは成長していくことになります。
人を動かすことは難しいが、暴力や脅迫で人が動くことを知っている
赤ちゃんは生まれてすぐのころは母親と一心同体だと思っているそうです。
そして自分が呼んだときにすぐに来ない母親を知ることで、自分と母親が別の存在であることを認識していきます。そして、泣いたからといってすぐに自分の要求を満たしてもらえるわけではないことを知り、周りの環境は自分の思い通りにいかないことも気づいていくのです。健全な発達の過程で、自分の思い通りにならないことが当たり前で、自分の意見を通すためには労力が必要であることも学んでいきます。
幼いうちは、自分の思い通りにいかないことがあると癇癪を起こしたり、怒ったときに手が出てしまうことがあります。それはよくないことだと注意されることを繰り返し、脳の発達とともに自分の気持ちを言葉で伝えることができるようになっていきます。
子どもはどうしても周りの助けが必要です。人の手を借りないとうまくできないことも多いでしょう。自分ができないということは悔しいことです。悔しい気持ちを押さえながら、やってほしいことを相手に理解してもらえるように言語化することは根気強い訓練が必要です。
子どもが要求をかなえてほしい時、たたいたり、大声を出したり、物を投げるかもしれません。幼いころにこういった言動があっても、単に自分の要求をかなえてもらう方法を知らないだけです。普通の親なら「それはよくないことだと」教えることができるでしょう。
しかし、DV家庭ではどうでしょうか。
もしこの時に、DV親が子どもの行いを庇ったらどうなるでしょうか?
DV親に怯えた母親は、DV親に逆らってはいけないと言う通りにするかもしれません。
子どもが叩いたり、大声を出したり、物を投げたり壊したりしても、それを悪いことだと叱ることができなくなるかもしれません。
一方で子どもにとっては、悪いことをしたときにも「お前は悪くない」と庇ってくれる、他の人を怒ってくれる人が近くにいたら?
子どもはDV親の力を借りれば自分の思い通りになるということに早いうちに気が付くはずです。
仮に自分の弱い力だけでは相手に言うことを聞かせることができなくても、DV親に怒鳴ってもらったり暴力をふるってもらうことで、自分の欲求をかなえてもらおうとするかもしれません。
暴力はチートだが話し合いはレベル上げが必要
暴力をふるう人は、「暴力は人を動かす」ことを身をもって知っています。
いわば、暴力はチートです。人に何かを頼むとき、動いてほしいときに、わざわざ頭や時間を使う必要がなくなります。
一方で、やってほしいことを言語化したり、人を動かすために頭を使うことは、経験値を積んでいかなくては身についていきません。長い時間と労力のいることです。ゲームで言うならば、コツコツとレベル上げをする必要があります。
まとめ
「自分の思い通りにいかないときの振舞い方」「自分と相手の意見が違ったときの物事の収め方」「自分と他人は別々の存在である」ことなどを学んでいく機会は健全な環境の中にあります。
DVやモラハラが家庭内にある。そこでは子どもの適切な学びの場が失われるばかりではありません。
間違ったことを学んだ結果、DVやモラハラを肯定し、それを使う子どもに成長してしまう可能性は決して低いとは言えません。
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