なぜ自分自身のことが嫌いになってしまうのでしょうか?
私自身も、以前は自分には何の価値もなくて「死んでしまったほうがいい」とまで感じているときもありました。その時になぜそういう心理に陥ってしまっていたのか…。
自分が嫌いになる理由は様々です。
そして、その理由に本人も気づいていないこともあります。
「消えたい」「死にたい」「こんな自分には価値がない」
そう思ってしまったときに知ってほしいことをまとめました。
なぜ自分のことが嫌いになってしまうのか?
否定され続けてきていませんか?
人は否定され続けるとどうなるか知っていますか?
否定を受け続けると、自分で判断をすることができないようになり、人に判断をゆだねるようになります。自分で判断したことは「ダメ」だと言われるので、誰かに「正しい」ことを選んでもらおうとするようになるのです。
すると、だんだんと自分という存在は気薄になり、誰かに依存する「自分」、人の言いなりになる「自分」が出来上がっていきます。
そんな自分が好きな人はいるでしょうか?おそらくいないですよね。
さらには、否定の言葉によって自分で自分を否定するようになってしまうのです。
私自身、パートナーからの否定される言葉を受け続けた結果、自分自身でも「自分は価値がない存在なのだ」と思い込むようになってきました。
誰かと比べられて貶められていませんか?
幼少期に親から
「○○君はできるのに、なぜあなたは同じことができないの?」
「お兄ちゃんは、あなたの年のときにはこれくらいのことはできていたよ」
「あなたは兄弟の中で一番出来損ないよ」
と兄弟や、周りと比べられて「あなたは劣っている」と言われて育つと、大きくなったときに自分と人とを比較する癖がついてしまいます。
人間は得手不得手があり、完璧な人はいません。人と比べてできないこともあれば、反対に人よりもよくできることもあることは普通のことです。
しかし、劣っているところだけにフォーカスを当てられて育ってきた場合、できない部分は上手に見つけられるけれど、人より優れているところにはなかなか気が付かなくなってしまいます。
そしてできない部分のみに過剰にフォーカスを当て、自分を責めるようになってしまうのです。
こういった思考回路が出来上がってしまうと、誰かが褒められたときにも「○○さんは褒められるけれど、私は褒められない」と感じ、
本当はあなたを貶めている言葉でないことにも過敏に受け取り卑屈になっていきます。
自分はダメなのだという感覚に支配されていることもあります。
褒められたり、認められた経験が少なくありませんか?
人は誰しも褒められたり認められると嬉しいものです。承認欲求(人から認められたいという気持ち)は程度の差はあれ誰しもが持ち合わせているものです。
一方、親や周囲から褒められた経験が少ない場合、自分を認められたり信じることができなくなります。
自信がなく、自分のことなのにどうしていいのか分からなくなったり、人に流されてしまう自分を嫌だと思うこともあります。
また何か悪いことがあった時に自分には何の責任がないことでも「自分が悪いのだ」と根拠なく思い込んでしまうこともあります。
また大人になってからも怒るばっかりの人間と付き合っていると自信を無くし、卑屈な人間に変わってしまうこともあります。
やりたくないことをやっていませんか?
好きなことをやるときにはポジティブな気持ちになりますが、反対に「嫌だな」「やりたくないな」ということをやらなくてはいけないときにはネガティブな気持ちになりますよね。
もちろん、疲れているのに家事をやらなくてはいけないとか、嫌な仕事も引き受けなくてはいけないときもあります。
しかし、慢性的にやりたくないことをやっている場合、ネガティブな状態に常にさらされているということです。
- 誰かの意思で自分の行動を制限される場合
- 自分の意思を強く否定されて、変えるように要求される場合
- 自分の感情を出すことを禁じられる場合
誰かからの支配によって自分の行動を変えざるを得ないときには、誰しも強いストレスを感じるでしょう。そして、本当はやりたくないことでも強要されやらなくてはいけないとき、自分を押し殺して捻じ曲げて…それはもはや「自分」ではなくなります。
やりたくないことばかりやらされる「自分」を嫌いになってしまうのは無理もないことです。
今の環境はあなたにとって良い環境ですか?
先ほどの承認欲求の話ですが、人には「所属欲求」という承認欲求とはまた別の欲求も持ち合わせています。「所属欲求」とは、集団やグループに所属したいという気持ちのことです。
人は、周囲の人たちに恵まれていればそれで心が満たされるため、わざわざ褒められなくてもよくなるそうです。反対に、社会から孤立している、集団に所属しているけれど周囲から搾取されている、精神的に孤独であるような環境では「所属欲求」は満たされません。
あなたが今属している集団やグループは、あなたの心を満たしてくれていないのかもしれません。
満たされない心が「執着」や「依存」を生む
不思議なことに、自分をけなしてくるけれど、ときどきは褒めてくれる人と一緒にいつづけると、その人に褒められるために「間違った努力をしてしまう」ことがあります。
「間違った努力」というのは、
理不尽な要求なのに応えようとすることや、
本当はやらなくてもいいことをしなくてはいけないと思い込むこと、
相手の欲求をかなえられない自分は「悪い人間だ」と思い込むこと
などです。
私自身も、パートナーとの関係がまさにこの関係になってしまっていました。
しかし、自分を搾取しようとしたり、サンドバッグにしたり、支配しようとする人と一緒に居続ける限り、いくら相手の要求を叶えたからといって、自尊心や心が満たされることはありません。
それにもかかわらず、「執着」「依存」しているために悪い環境に居続けてしまうようになってしまいます。
「自分が嫌い」その意味をもう一度考えてみてください
あなたが本当に嫌いなのは、「自分」ですか?
それとも「その人と一緒にいるときの自分」ですか?
もし、今の人間関係や環境が「嫌いな自分」を生むのであれば、それは良くない環境である可能性があります。
なぜ「消えたい」「死にたい」と思うのか?
自分がダメすぎて生きている価値がないと思うから
さまざまな理由で自己肯定感が低くなった人は、「何をしても自分はダメだ」と思い込むようになります。
人は粗末に扱われれば「価値のない人間だ」と思い込むようになりますし、大切に扱われれば「自分のことを大切にしよう」という気持ちが芽生えるものです。
粗末に扱われた結果、「生きていても意味がない」「生きる価値もない」という極端な思考に陥ってしまうのです。
ストレスが大きすぎて辛いから
また、大きなストレスから逃れるために「死んで楽になろう」と思う場合もあります。
重度のうつ病の患者は「寝ているだけでも苦痛」を感じるために、その苦痛から逃れようと死を選ぶことがあります。
大きな苦痛を感じ続ける環境では生きる気力が持てないこともあるのです。
逃げてはいけないと思っているから
今の環境が悪いと気がついていたとしても逃げ出せれないのは、逃げ出すことが「弱い人間がすることだ」「悪いことだ」「無責任だ」と思い込んでいるのかもしれません。
まだ務めて間もない仕事を辞めようとすること、
離婚をしようとすること、
親と疎遠にすること、
それが「良くないこと」だと無意識に刷り込みされている日本人は多いのです。
「もっと頑張りなさい」
「すぐに諦めるんじゃない」
「結婚生活は我慢」
「育ててもらった恩があるだろ」
そういった周囲の言葉がさらに追い詰めることになります。
逃げることは許されない、じゃあもう死ぬしかないという思考回路に陥ってしまいます。
正常な判断ができていないから
人は閉鎖的な環境であったり、苦痛が人生の大部分である環境であったり、食事や睡眠が十分に与えられない環境であったりすると、正常に脳が働かなくなり正しい判断をすることができなくなります。
十分な睡眠がとれないブラック企業での勤務、
パートナーから働くことも、親や友人と連絡を取ることも許されず、強い束縛を受けている場合、
何をしても怒鳴られる、けなされる、時には暴力を振るわれる、
こういった環境では人は極端な思考回路に陥りやすく「そこから逃げ出せばいい」という正常な判断ができずに「死」を選んでしまうのです。
弱い人間だからではなく、追い詰められたら誰しも同じ行動を取る可能性があります。
「消えたい」「死にたい」と思う人に知っておいてもらいたいこと
人生において、逃げ出すことと、あきらめることは必要なこと!
逃げるということは、「無責任」だというマイナスなイメージがあります。しかし、自分に責任のないことから逃げるのであれば、「無責任」だという批判は場違いでしょう。
たとえば、周囲の環境が悪くて、その人たちが変わらないとき、そこから逃げ出すことにはあなたに何の責任もないことです。
逃げることは、「戦略」でもあります。
たとえばある部門で赤字を抱えている会社がその事業から撤退するとき、それは「勇気ある撤退」なはずです。それで会社全体の利益を守ることができ、従業員や取引先を守ることに繋がります。
このように時と場合によっては「逃げることが必要」な時もあるのです。
逃げることが悪いことだという思いにとらわれて逃げそこなってしまうと、逃げないことよりももっと悪い結果(会社の場合倒産、破産など)に繋がってしまいます。
危険な状況から逃げるのは早ければ早いほどいいのです。
逃げることで何かを守れる場合は、全力で逃げましょう!
また、自分に責任のないことを背負いすぎてつぶれてしまわないために、あきらめることも人生において必要なことであることを覚えておいてください。
あなたが努力をしたところで周囲の環境を変えることはできません。あなたが変えられるのは自分自身のことだけです。
他の人が変わらないことには何の責任もありません。
人は変わらないものだとあきらめて、その責任を手放してください。
環境が変わればその気持ちは無くなるかもしれない
人間というのは、「状態」が良いときと悪いときがあります。誰しも病気にかかりますし、病気で弱っているときには、精神的にも弱くなることが多いものです。
そして、この状態というのは、環境にとても依存しやすいということ。
病気の中には、「生活習慣」が原因で引き起こされるものがありますし、風邪の引きやすさは、家のあたたかさに大きく左右されるそうです。
これは、心でも同じことが当てはまります。
習慣的に心に無理をさせることは病気を引き起こす原因になりますし、冷遇される環境では心も風邪を引きやすくなります。
私たちは、自分の置かれている環境を無視することはできません。
あたたかい家で育つ子どもは風邪を引きにくいそうです。風邪をよく引く子どもの家は、風邪をあまり引かない子どもの家と比べて温度が低いということが分かっています。
もし、風邪をよく引く子どもの家の環境をよくしたらどうなるでしょうか?
もちろん、子どもは風邪を引きにくくなるでしょう。
子ども自体は何も変わっていないのに、環境が変われば子どもの「状態」が変わるということです。
私自身、パートナーと暮らしているときは強い自己否定にさいなまれ、「死にたい」と思っていました。しかし、パートナーから離れ別居をすると次第に「死にたい」という気持ちは消えていきました。
仮に上の例で、子どもに薬をたくさん飲ませたらどうでしょうか?薬を飲んで風邪の症状はよくなるでしょう。しかし、風邪の引きやすさがそれで改善されるわけではありません。
同じように、心の風邪の引きやすさも、薬で改善されるわけではありません。
根本的に解決を望むのであれば、家の寒さの方を改善しなくてはいけないのです。
「死にたい」という気持ちを改善するときには、あなた自身が何かを変わらなくてはいけないと思うのではなく、置かれている環境の方を変えることです。
環境が変われば「死にたい」気持ちは無くなるかもしれません。
自分の感情を書き出してみると、真実が分かる
強い否定を受け続け、マインドコントロールされている場合や閉鎖的な空間で正常な判断ができていないとき、そこから逃げ出すことは容易ではありません。
そういったときには、自分が何を感じているのかを紙に書き出してみてください。
最初は良い言葉が続くかもしれません。
しかし、書き続けていくうちに、その内容に変化がみられるかもしれません。苦しい気持ちや悲しい気持ち、怒りの気持ちなどの言葉が並ぶようになれば、そこにあなたの本心が隠されているのです。
もし、最初にはポジティブな気持ちが書き連ねているのに、次第にネガティブな気持ちばかりが出てくるのであれば、
最初に書かれている気持ちがあなたの表面上取り繕った気持ちで、そのうちに出てきたネガティブな方が、あなたの本当の気持ちの表われです。
日記はあなたの未来を守るためにも役に立つ!
また、パートナーから暴力を受けていたり、モラハラを受けていた時には、受けてきた内容をすべて日記につけてください。
よく元パートナーからDVを受けてきていたのにもかかわらず、離れた後にパートナーへ再び連絡を取ってしまうケースがあります。
その原因は、ひどい虐待や暴力、暴言を受けたときに「人は自らを守るためにその記憶を封印し、無かったことにする」ことがあるからです。
DVを受けてきていたのにもかかわらず、数年後にはその記憶がぽっかりとなくなり、「いい人」だと思ってまた連絡とってしまうことがあるのです。
その失われた記憶を補うもの、それがあなたのつけていた日記です。
その日記が将来のあなたの被害を守ってくれる可能性があります。
そこにはつらい記憶が書かれているかもしれません。しかし同時にその真実が、「関わってはならない人を遠ざける」ことに繋がるのです。
私も、もう二度と元パートナーには会わないと決めています。
コメント