モラハラが治るんじゃないかという期待が捨てられない人へ

モラハラが治るんじゃないかという期待が捨てられない人へ

私は、自分がモラハラに遭ってから人の心理にとても興味を持つようになり、気が向いたときに心理学などの本を読んでいます。そして私自身がモラハラ環境にいたときにモラハラ加害者寄りの考え方をしていたことで、加害者側がなぜモラハラをしてしまうのかという心理もよく分かります。

しかし、本を読んでも、自分の体験に照らし合わせても、どうしても理解できない部分もあります。それが、加害者に居続ける人とモラハラを治すことができる人の大きな違いではないかと思っています。

モラハラ加害者をパートナーに持ってしまった場合、やはり相手のモラハラが治らないかどうかというのはとても気になるところです。双方が穏やかに過ごせる家庭に落ち着けるなら、誰しもそれを望むでしょう。私も離婚が成立し、相手と離れた今となっても、モラハラが治るのかどうかという点について、ありもしない「もし」を思い描いてしまうことがあります。

私は今は離れているので、相手が今どんな状態にあるのかなどを知ることはありませんし、モラハラが治ろうが治るまいが私の人生には何の影響もないので、歴史のもしものように空想の「もし」を楽しむ余裕もあります。

ですが、モラハラ被害の渦中にある人にとっては、配偶者のモラハラが治るか治らないかはご自身の人生に大きくかかわる問題です。治ると安易に期待もできないし、治らないと分かれば相当な絶望を感じることと思います。

モラハラが治るか治らないかというのは、(自分の病気ではないのにもかかわらず)被害者が手放すことが難しいテーマではないでしょうか。

目次

モラハラ被害者がモラハラ思考になるのはなぜ?

モラハラ環境にいると、攻撃を受けている当人だけではなくそれを見ている周りまでもが感化され、モラハラ思考になっていくことが往々にしてあります。

子へのモラハラや虐待が行われる環境で、最初はそれを止めていたほうの親まで最終的には虐待に加担してしまったり、妻(もしくは夫)へのモラハラが行われる環境で、子どもも同じようなモラハラを親(この場合はモラハラをしない方の親)にするといったことが起こります。

モラハラは密室で行われ、また密室という環境であるがために洗脳状態に陥ります。外界の情報が遮断されていること、誰かの意見に従わざるを得ない(選択肢や自由がない)こと、食事や睡眠・排泄といった生理的欲求に制限がかけられていることといった条件で人は簡単に洗脳されます。正常な判断能力は失われ、普通では「おかしい」と思えることもおかしいと思えなくなります。

継続したモラハラ環境下に置かれると、誰しもモラハラ思考になり、常に競い他人を蹴落とす生き方になるでしょう。自分以外の誰かがターゲットになることも、「誰かが攻撃されていることが嫌だ」と思うのではなく、自分がターゲットを免れたことを安堵するようになってしまうことすらあります。

誰しもがモラハラ加害者になる それでも常にモラハラをする人の分からない思考

私は、誰しもがモラハラ加害者になる可能性があると思います。

凄惨な虐待事件では、「なぜ助けなかったのか?」「なぜ逃げなかったのか?」という意見が飛び交いますが、安全な立ち位置にいる人が被害者の心理状態を想像することは非常に難しいと思います。そして、ニュースを見て「自分ならこうしたのに…」と思っている人も、同じ環境下に置かれたらどうなるか分かりません。

しかし、それでも常に加害者の立ち位置にいる人は、特殊な環境下にいてモラハラをしてしまう人とは違う部分があり、どうしても理解までたどり着くことができません。

それは次の点です。

(1)自省しない

洗脳・支配環境にいたときにひどい行いをしてしまった場合、その環境から脱して洗脳が解けた後、自らの行いをひどく悔やみます。取り返しがつかない悪いことをしてしまった意識があり、反省や後悔の言葉を口にします。

しかし、常にモラハラをする人の場合は、自分がやってしまった行いも誰かのせいにします。もしくは、環境のせいでこうなってしまったと自己弁護します。

彼らはどんな悪いことをしたとしても他人の責任にすることができます。根底には、「自分は決して悪くない」という想いがあり、それを覆すことはたやすくありません。

また、自分の罪を消すために人の罪を作り上げ、ありもしない被害の被害者になろうとします。殴ったことを正当化するために、妻が不倫をしていたといい、不倫していないことが証明されたら、「俺が疑うようなそぶりをするのが悪い!」と言い出し、絶対に自分の暴力が悪かったとは言いません。

(2)受け入れがたい現実をどうしても受け入れない

生きていく上で自分の中の理想と現実が一致するとは限りません。むしろ、一致しないことの方が多く、小さいころに思い描いていた夢がかなったというケースの方が珍しいでしょう。人生の中で何度も理想と現実のギャップに打ちのめされる経験を多くの方が体験しているはずです。

一方で、常にモラハラをする人は、ギャップに苦しむことをせず、自分が思い描いた理想と現実が違えば、現実の方を消そうとします。

特に人から拒絶された時にこの特徴が顕著に現れます。たとえば、恋人に別れを告げられたら、そんな現実を消すために恋人を消そうとするといったことです。

彼らの中には、「理想」か「そもそもその理想を思い描くことがなかった現実(初期化)」しかないように見えます。

(3)理解できないモラハラの原因は?

相手に悪いことをしてしまったな、という罪悪感があって初めて自分の行いを省みることができると思います。そして罪悪感は「自分の行いのせいで人が苦しんでいる」といった相手の気持ちを憶測したり、その気持ちを我がことのように共感することから生まれます。

彼らには、他者視点が一切ないのです。だからこそ、人を虐げることに罪悪感を持ちません。

また、自分と相手の考えや気持ちが違ったとき、相手の考えや気持ちを受け入れること、これも自己本位的な人にはできないことです。

彼らにとって他者とは、”肥大化した自己”のようです。

モラハラは目的ではなく「手段」である

モラハラをするのには、自分の意見を伝えたい(けれど正しいやり方が分からない)かったり、防御機制の一種であったりと、モラハラを使う人や場面によって目的が異なります。モラハラの中には、目的によって理解できるものと理解できないものがあります。

加害者思考の人は、「支配」目的のためにモラハラを使います。そして自分が人を支配しようとしていることに何の違和感も抱きません。なぜなら彼らの中には他者視点がなく、自己実現のために人を利用することに罪悪感を持たないからです。

彼らにとって支配を妨げるものは、自己実現を妨げるものとして敵視され、攻撃の対象になることがあります。

モラハラを受けた被害者はなにをすればいいの?

私は、モラハラ被害に遭われた方がモラハラ環境を抜け出した後に、自分の身に何が起こったかを理解するためにモラハラ加害者について知ることにはあまり意味が無いと思います。なぜなら、どうしても理解できない壁が大きく立ちはだかり、答えを見つけることができないからです。

それよりもご自身が立ち直るために、自分自身を見つめ直す方に時間を使ったほうが有意義です。

モラハラ環境で自分がどういう状況に置かれていたのか、

どういう精神状態だったのか、

今もその後遺症が残っていないかどうか、

もし後遺症があればどんな時にそれが出てくるのか、

後遺症から抜け出すために何をすればいいのか。

ご自身のために学び、行動するほうに時間を使ってください。

まとめ

自分と他人が別の存在であるということを認識できるかどうか、そして他者の気持ちを尊重できるかどうかがモラハラが治るかどうかの分かれ道ではないかと思います。

誰しもモラハラ加害者になる危険があります。

一方で、誰しもが自省できなかったり、現実を否定するために凶行に及んだりするわけではありません。

自省するそぶりがない、こちらの「NO」を強く否定し続ける人である場合には、彼らと離れなければモラハラがなくなる環境にはならないと考えたほうがいいでしょう。

モラハラを受け続けていると被害者も加害者的思考になることがあり、その結果、「卵が先か鶏が先か」のようにどちらが加害者だったのかが分からなくなることがあります。

しかし、根本的に加害者思考の人とそうでない人は違い、それは上の2点に注目してみてください。

治るか治らないかという思考に囚われてしまったときに、参考にしてもらえたら嬉しいです。

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