モラハラが治らないのは自覚がないのではなく反省できない人間だから

モラハラが治らないのは自覚がないのではなく反省できない人間だから

モラハラ加害者たちは、自分たちがモラハラをしているという自覚がないために、治らないし治そうともしない、という見解が一般的なモラハラ加害者への印象です。

しかし、モラハラ加害者たちが「自覚なし」にモラハラをしてはいないと私は思っています。

モラハラ加害者たちの心理メカニズムに焦点を当て、モラハラがなぜ治らないのか、なぜ治そうとしないのかを解説します。

目次

モラハラを「使い分ける」のはモラハラが悪いことだという自覚がある証拠

モラハラ加害者たちが、「モラハラを悪いことだと思っていなかった」「モラハラ加害者だという自覚がなかった」というのは、私は嘘だと思っています。

なぜなら、彼らはモラハラをする場面とモラハラをしない場面を巧妙に使い分けて、自分が不利益になる場所では絶対にモラハラをしないからです。

モラハラをしてはいけない、人に見られてはいけないという意識がなければ、モラハラを隠そうとしたり、人前ではいい人を演じる必要などはありません。

本当に「被害者のためを思ってやったこと」であれば、どこでだってモラハラをするはずです。

しかし、周囲の目があるようなところでは絶対にモラハラをしない、それは「モラハラが悪いこと」だという自覚があり、モラハラをしていることがバレれば、非難されたり、悪い人間だと指摘されることが分かっているからではないでしょうか。

※中には、所かまわずにモラハラをする人もいます。調停の場ですら、自分のしたモラハラを武勇伝のように語る人もいるそうです。これらは、本当に「自覚がなかった」タイプでしょう。

モラハラの自覚がないといわれるのは、巧妙な嘘に騙されているだけ!

多くの被害者たちは、モラハラ加害者のことを「モラハラの自覚がないためにモラハラをしている」と認識してしまっています。しかし、上のことを考えれば、モラハラの自覚がなかったというのは加害者側の嘘だということが分かってもらえるでしょう。

モラハラ被害者がこのように認識してしまうのは、モラハラ加害者たちが、自分たちがさも「モラハラを被害者のためを思ってしていること」ように見せかけたり、「自分には一切の非がない」ようにふるまうことがうまいからです。

モラハラをした後に、自分のしたモラハラを正当化するために彼らは嘘をつきます。

しかし、それさえも「悪いことをしてもなお、善人でいたいがために人に非を押し付ける」モラハラ行為に他なりません。

モラハラを自覚してもなお、モラハラを改善しないのはなぜ?

モラハラは「誰かがさせている」こと モラハラ加害者の心理メカニズム

モラハラ加害者たちは指摘をする以前から悪いことをしている自覚があるはずです。

ではなぜ、モラハラをやめようとしないのでしょうか。

多くの場合、被害者いくら涙ながらにモラハラをやめてほしいと訴えたところで、「自分は悪くない!悪いのはお前だ!」と責任転嫁して終わります。「やめてほしい」という言葉で彼らのモラハラ行為をなくすことはできませんし、その訴えが相手の心に届くことはありません。

彼らは、「モラハラをしている自覚もあるし、それが悪いことだと分かっている」けれど、「モラハラをしてしまうのは自分の意思ではない」ように言うのです。

このセリフは、モラハラ加害者が「モラハラの責任を取る気はない」と宣言していることに他なりません。

モラハラを責任転嫁するのは、彼らの責任能力がないことを意味する

モラハラ加害者は自分がやったどんな悪い行いも、周りを正すためしつけのため教育のためという大義名分を掲げ、自分の非を周囲に擦り付けます。

モラハラ加害者たちは、自分の行いを全く反省することもなければ、その責任を取ることもしません。

それは、彼らが無責任でかつ無反省な人間であるからです。

だからこそ「モラハラを治す責任」さえも手放し、改善する道を歩もうとはしません。

モラハラを治さない一番の理由は無責任無反省な人間だから

モラハラ加害者たちは、かつて被害者であった頃、周囲の振る舞いから「悪いことをして責任を取らなければいけなくなったとしても、それを自分よりも弱いものに押し付けてもいい」と学びます。

実際に、周囲から自分のしていない悪いことの責任を押し付けられてきたこともあるかもしれませんし、周囲に自分の責任を押し付けることでうまいこと生きてきていた経験があるはずです。

彼らの認知の中では、「責任を弱いものに押し付けることは当然のこと」なのです。

彼らの責任は彼らのもの

モラハラ加害者たちが、劇的に変わる瞬間があるとすれば、それは、今までは誰かに押し付けることで解決(もしくは見かけ上の解決)してきたことを、自分自身で責任を取らされることで痛い目に合うことができたときだと考えられます。

孤独になった時、離縁や死別などで人が離れたとき(離れそうになったとき)に改善できるチャンスがやってきます。

しかし、機会があれば必ず変化を促すわけではなく、治らない加害者も多くいることも覚えておかなくてはいけません。

モラハラ加害者は、自分だけが得をしようとする悪い人間である

モラハラ加害者は、幼く未熟なために責任を取ることができないわけではありません。責任を押し付けて周囲を悪者にし、自分は善人だという評価を得て、自分だけがぬくぬくと安心した場所で得をすればいいと思っています。

その結果、周囲が苦しむことになったとしても彼らはその痛みを知ることはありません。

彼らが取るべき責任を肩代わりしてはいけません。

モラハラ加害者をかばうこと、責任を代わりにとることは、彼らに被害者の痛みを知ることなく、ひとりだけのうのうとモラハラをしてもいいという権限を相手に与えてしまうだけになります。

時には社会的な制裁を受けることになったとしても、「自業自得」であり、可哀そうではありません。

モラハラが治らないのは自覚がないのではなく反省できない人間だから

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